3月12日と20日に民俗芸能調査クラブの「実験発表会」を行いました。5人のメンバーが発表してくれてとても充実した内容になりました。今回はひとまず自分の行った実験について書いてみました。
現代を生きる私たちが漠然と感じている閉塞感の正体はなんだろう?それは、システムに埋め尽くされ、均一な消費活動、均一な行動様式の繰り返しの中で生きているせいかもしれない。均一な行動は「みんな同じ」ことを無自覚に選択しているか、あるいは選択せざるを得ない空気が存在するということかもしれない。その空気をなんと呼べばいいのだろう?
2)「統一」と「共有」の違いとは?
そういった問いから、「みんな同じ」ということを、「統一」された何かと考えるか、「共有」と考えるか、という次の問いが生まれ、「統一」と「共有」の違いについて考えるに至った。日本における西欧近代化以降に翻訳語として入って来た「共有」は、「個人」から見た関わりの在り方として、重なっている部分を指す、というような意味合いになってくるが、古くからある民俗芸能は、まず関わりを主体にして個々人を見る視点において、意識することなく「共有」する身体感覚を持っていたのだと思う。例えば、村の信仰や村の先祖の存在、死後や冥土や超自然に関するイメージを、人々は潜在意識で共有していたに違いない。そしてその共有を元に長い時間をかけて芸能が立ち上がったり伝搬したりしてきたのだと考える。人と人の間にある何かがまずあって、それを媒介として人々は生きているというようなコミュニティーだったのではないだろうか?たとえば、死んだ者がどのような経緯をたどって、どこに行くのか?というイメージや、鬼、獅子、森羅万象八百万の神々など…。
3)快のある拮抗によって共有が深まる
「違いを共有する」という言葉もあるように、共有は、違いやズレも許容しながらその間に漂うものにむしろ包まれているような感覚で、そういった「共有」は人と人、人と自然、人と鬼、邪悪なものと神聖なものが拮抗しつつ共に生きるような状態とも言える。拮抗することによって、共有の深さも増すように思う。例えば、花祭りの最後近くに、湯囃子といって見ている人々に沸いている湯をばしゃばしゃとかけるシーンがあり、また、修正鬼会(しゅじょうおにえ)では、鬼の目餅と呼ばれる2枚の鏡餅がまかれ、群衆が殺到し、鬼は餅を拾った人を追いかけ回すというようなシーンがあるが、現代では望んでしないような、濡れたり熱かったり痛かったりするような状況を作りだすのは、ひとつの拮抗状態を立ち上げていると言えるように思う。そういった場合の拮抗には「快」があるのではないだろうか?自分も実際にそこに立ちあうと、人々はみな、驚き困惑しながらも、あきらかにそれを望んでそこに立ち会いつつ、何とも言えない共有感が漂う。綱引きや、相撲が神事として行われるのもそういった理由かもしれない。
4)実験その一
さて、そのような過程のもとに実験を行った。内容は、一枚の紙に、あるテーマを設定し、そこに立ち会った人々全員で一つの絵になるように描いてもらった。テーマは例えば「横浜」「海」「未来」などである。
紙にそれらを描いていく間、人々は無意識に描く内容を周りの雰囲気とある程度同じようにしようとしたり、描くモチベーションや、量も、均一になるように気を使ったりする。そのあと、自分の描きたいように描くように指示を変え、描いているものが気に入らなかったら人のものでも勝手に手を入れて、テーマから逸脱しても構わないと告げる。しばらくすると、少しずつその空気感が変わってくる。わがままさや、そこに居る人々にぶつかって行くような瞬間やちょっとしたケンカや(絵の中での)エネルギーの伝染や、そういった別のことが起きてくる。そして僅かだが拮抗するような状態が生まれ、あきらかに絵の内容は変化する。それは見る人の主観によるだろうけれども、かなり強い印象の絵になっていく。
もうひとつは、無意識のレベルで見立てたもののイメージを共有してみようという「見立て」の実験を行った。 色のついた紙をいくつかの図形にして、それらが何に見えるか?何に見立てることができるか?対話をし、その見立てを使って願いを表現してみた。たとえば黒い三角形は男性トイレのアイコンのようで、「男」。黄色い四角形の内側に四角形の穴があいた図形は、明るい印象で「誕生」、というように。図形は、固定した意味である間は、皆同じ意味として扱うという程度に過ぎないが、一つのアイコンに別の意味が付加されたり近い意味に膨らんだりすることで、それらの奥にあるイメージを手探りする感覚を共有できるようになっていった。
二つの実験を通して、現代の私たちが、かつての共有のあり方をもう一度学び直すことは可能だし、「統一」されていく流れから別の生き方にシフトできる一つの可能性ではないかと強く感じた。ただ、それをコミュニティーから逸脱したマイノリティーとしてのアーティストである私自身がどのような方法で場を開いて行けるのか?そこは本当に難しいし、これからの試行錯誤が不可欠だ。