080211 道場破り企画2期目 前半戦

2期目の参加メンバー決定!

黒沢美香 中村公美 捩子ぴじん 山賀ざくろ 手塚夏子

道場破りとは、手塚が魅力的と感じるダンサーの手法に接近し、その道に深く触れる事で自分の道を破る試みです。方法は、一緒に稽古場に入り手法についての話を徹底的にして、体で確かめていくというもので「踊っているときの状態はどのようなものか」という問いが基本になります。堅く聞こえるけれど、これらはリラックスした雑談から始まります。手法とは、学んできたダンスのノウハウの事ではなく「自分にとってのダンスとは何か」という根本的な問いにより、独自に編み出された、マネの出来ない手法のことです。

道場破りshowing前半戦へのお誘い


メンバーそれぞれの手法について、分かって来たことを話し、手塚がそれらの手法を実践してみます。今までの稽古に加え、さらに全員合宿稽古をし、最終日がショーイングとなります。ただし、今回の合宿およびショーイングは、黒沢美香さんが参加できませんが、私は美香さんの手法に取り組みます。春に行う後半戦のショーイングで美香さんも登場します。
さらにお楽しみがもう一つ。山と湖と温泉のまち藤野で、ダンスの本質に触れたり温泉に入ったりしませんか?会場となるホールの目の前が温泉です!

出演|中村公美 捩子ぴじん 山賀ざくろ 手塚夏子
日時|2008年2月11日(月祝)14:00スタート
   9日、10日も同じ会場で合宿稽古をしています。
   いつでものぞいてください。
料金|カンパ(物でも可)
会場|藤野農村環境改善センター(牧野公民館)3階 多目的ホール
   ショーイングの前後には、ぜひ「藤野やまなみ温泉」で
   ごゆっくりおくつろぎ下さい。
交通|JR藤野駅から「やまなみ温泉」行きのバスで15分
   「やまなみ温泉入口」下車、目の前が農村環境改善センター
   藤野駅前発やまなみ温泉行 11:40 13:10 13:47 (神奈川中央交通)
住所|神奈川県相模原市藤野町牧野4232番地
   tel: 042-689-2121
企画・問い合わせ|手塚夏子大澤寅雄
   070-5550-9321(手塚)042-689-5593(大澤)
※床の間レジデンスに宿泊可能です。希望者はお早めにご連絡ください。




※一部、お使いのブラウザによっては上記に申し込みのフォームが表示されない場合がありますので、お申し込みは、大澤寅雄まで、お名前、ふりがな、参加人数、宿泊希望などをメールで送信してください。

2008年2月11日 道場破り 二期目 前半戦のshowingを終えて

道場破りとは、手塚が魅力的と感じるダンサーの手法に接近し、その道に深く触れる事で自分の道を破る試みです。方法は、一緒に稽古場に入り手法についての話を徹底的にして、体で確かめていくというもので「踊っているときの状態はどのようなものか」という問いが基本になります。堅く聞こえるけれど、これらはリラックスした雑談から始まります。手法とは、学んできたダンスのノウハウの事ではなく「自分にとってのダンスとは何か」という根本的な問いにより、独自に編み出された、マネの出来ない手法のことです。

手塚夏子が挑む相手:中村公美 捩子ぴじん 山賀ざくろ 黒沢美香

〈道場破り 手法のまとめと前半戦の感想〉

●中村公美

裸足で登場、最初、ただ立っている。ぼーっとしている。→腰椎の二番あたりの骨の左側がポカンと空く。結果下腹が無防備な感じでどかんと前に出る。

ある種の受信状態。あるいは耳を澄ます。

入る=「体が勝手に動く状態。ある種の感情が、体を動かす状態、多少の恍惚状態になる」まで待つ。

そのための方法の一つとして
素振りする。同じ動きを何度も繰り返し、気持ちが体を動かして行く状態になるまで続ける。
(素振りの傾向としては、腰が据わるような動作が多い)

音楽がかかると楽になる。感情に作用する。

※本人からの補足:素振りは只回数をこなせばいいというのではなく、丁寧に渾身のひと振りが出るまでやります。心を込めてこれだ!というひと振りが出来れば、その時そこにいる人すべてが幸せになれる、くらいに思ってやっています。それは、人の為にやっているのではなく、そのくらい思わないと渾身のひと振りは出ないのです。

★ 入る、という状態はある種のダンサーにとってある程度同じかもしれない。けれど、その入った状態は個人の身体的欲求により多様だ。彼女の場合、ある種の感情が体を突き動かしているように感じる。私のように身体を物化しないで、人のままでいるようだ。…ああー、どういう状態なのか、見定めることは本当に難しい。彼女の入った状態をいくつか思い出しても、ひとつにまとまらない。あたりまえだ、それがダンスの所以なのだ。
★ 乱暴なのがいやになったと彼女は言った。切実さ、を激しさの中で見いだすということに違和感を感じ始めていて、別の切り口を探したいのかもしれない、と思った。

● 山賀ざくろ

頭が空っぽで、子ども。小さなことに心を動かされる状態。
独り言や鼻歌を動きでやってる。それらが途切れ途切れに、シフトチェンジ。ある程度夢中で楽しいが、ひとつの事に集中せず、意外なタイミングでコロコロ変わる。変わる瞬間が楽しい。
自分の予想の範囲を超えた動きが出ると、どんどん楽しくなる。

決める事
音楽、衣裳、立ち位置、移動する導線。
衣裳によって、自然にあるキャラクターになる。
音楽がかかると、気持ちがそれに反応し、またそれに対して動きのタイミングを微妙にずらしたり、別のメロディーやリズムをセッションのようにのっけて楽しむ。

ベースとなる体の状態
足の付け根が緩んで、腰がスムーズに動く。
腸腰筋が生き生きとして気持ちが動きやすい。
上半身にボリュームがある。→足が軽い。気持ちが動く

「立ってるだけで面白い」居かた。それは恥ずかしい、という状態のまま舞台上に居られるという特異な技だ。

★ まず、自分が普段の自分に限りなく近い状態で、恥ずかしいという状態のままお客さんの前に居るということの難しさ。本当に恥ずかしい。客席に顔を向けられない。だいたい独り言を言ってしまうような、ゆるい精神状態で人前にいられること自体、奇跡に近い。子供のように少しのことに心を動かすような、一人きりで居るときに見つける楽しみを、人前で維持できるというのはどういう状態なのか。限りなく普段の自分に近い状態の時に、人前で計られている「恥ずかしい度合い」というのを初めて発見した。お客さんを前にして、山賀手法を実践している最中に、「ピピピピ、これ以上恥ずかしいのは無理。無理」と心が拒絶反応を示す、その感触を初めて味わった。フリーズ状態も初めて味わった。気づかないうちに、ある程度、恥ずかしい目に遭わないよう自分を調節していることを発見。そういう意味では、恥をかいた甲斐があったというものだ。
★ 彼の無意識の領域から出てきた「居かた」や「ノリのある状態」を、意識的にやろうとすることの限界に突き当たっている。体の状態を意識するというアプローチにもそういう意味で矛盾があって難しい。けれども、矛盾することのバランスや案配で近づく道を探したい。つまり「身体的アプローチ」と「気持ちの状態を自然に導く」ことを。

●捩子ぴじん

上演時間を決める
自分の体から、或はたまたま見かけた人やモノから、動きを採集する。
採集した動きから、それぞれが本来持っていた意味に限定されない動きになるようにします。
カウント、動きがぶれないように細部を決める
体の無意識の領域を意識のドットで穴埋めする様に、可能な限り細かな所まで意識する。
体が次の動きに映る時、イメージを思い描き、「行くぞ、行くぞ、行くぞ」と自分に指令を出している自分の声が、徐々に小さくなっていき、消えた瞬間に動く。

自分の体が客席からどのように見えるかをはっきり意識して動きを組み立て、またそれが自分の実感の善し悪しとは矛盾しない。

★ 即興で彼が踊ると、意識しきれない部分や、体の反応する要素がむしろ強く体から噴出する。その感じが私の手法にとても似ている。頭は意識しきる、コントロールしきる、コントロールから外れる瞬間も意図的につくるという指向性を持つとしても、体自身の持っている性質は、むしろ意識にとらわれきれない身体的欲求に満ちているのかもしれない。しかし、細かく意識し続けること、コントロールや意図といったあまり経験のないことに取り組む時、私が「制御」してると感じさせるアウトプットでは意味がないなー。捩子さんのを見たときは、即興か?と感じさせるほど「制御」という言葉からは遠い。
★ 本人の感想
道場破りの感想ですが、僕の手法は言葉にしたり、他者が実践する分には“まさに”という感じで納得して観ていられるのですが、自分で自分の手法を忠実に再現しようとしたときに、踊りが狭まる違和感がありました。
例えばカウントや細部なんかも、作品作りの段階ではしっかり決めて、ブレのないよう、実際に数も数えながら踊っているんですが、実感(この言葉です)としては“やることは決まっているけど決まっていない”という感があって、ショーイングではそこが、つまりいつもの自分の状態が、手塚さんに伝えるために言語化した自分の手法に抑制されて、とても苦しく、不満足に終わってしまいました。
まだ、十全に伝え切れていない部分があり、あるいは喋りすぎたのかも知れませんが、それに気がつかづにいたことに反省しています。

● 黒沢美香

基本的に目指す境地は、忘却している快楽。ふっくらしてる喜び
舞台の上で、お客さんも見てるのに、照明もあたっているのに、今、なんのためにここにいるのか、忘れている状態。
それとは別に、体はSM的な欲求があるのか?

体の状態 腰に吸盤があって床を吸い上げているような重さを感じる。

準備ものとそうでないものがある。
準備ものの場合
①「言葉」を使って地図を書く(イメージが強く浮かぶ)
呪術性があって、体の中に入ってくるようにする
机の上でそのイメージを持つ強さが大切

②地図には具体的な動きの指示も入れる(外側からの視点を持つ)
動作、行為をやるときは、忘れた瞬間にやる

③ ①と②で自分の体を挟む。体の中である「ねじれ」が生まれる。

作品を組み立てていくどの段階でか、劇場を見て、そこに自分がどのように動くか想像してメモを取る。外からの視点をはっきりと持つということだと思う。その点で捩子さんとも共通する部分がある。

★ イメージとは何か?イメージとはもう一つの現実であると言えるか?
 「そんな感じー」から「目の前で手で触れるかのように」までの幅があるように思う。美香さんの地図を見たとき、その言葉が私の現実に浸透してくるかのように、心身の深くに迫ってくる。圧倒的な実在感がある。その手応えが、美香さんの「重さ」や「ねばり」「刻印」だろうか。もしかしたら、「準備もの」による美香さんの手法では、イメージの強度というのが一つ大きいのかもしれないと思った。
 ショーイングで私が挑んだ時に、自分の手法とは明らかに違う心身の状態が出現したという意味で手応えがあったが、忘却した「ふっくら」からはほど遠かった。再チャレンジしたい。

〈全体の感想〉
身体的な状態というアプローチには限界がある。無意識の領域から出てきたことを、意識して行うことの矛盾にも突き当たっている。しかし、こうして試して初めて、聞き出した言葉の実感が体にやってくる。自分の感覚では届かない部分、見極めようと思って見定められない部分、何が判らないかが実演して初めて判ってくる。私自身の道を破る破壊力となるまで、しつこく自分の前提を細分化して、それぞれのアーティストの手法に接近したい。

あらためて、それぞれの魅力を実感し、またその魅力を超えられないのはくやしい。あたりまえだが、そこを超えようと思うことが道場破りのひとつでもある。そしてそのとき初めて自分の道も破るのかもしれない。道場破りあいでは、お互いにそこを目指すことが出来れば、ヒリヒリとした鬼気迫る、しかし最大に可笑しい会になるだろう。