もともと、出不精で、何かを見るという事にいつも不安がある。だからダンスの公演なんかに興味を持たなかったり、分からないものを見に行かない人の気持ちとかは割と分かる。それなのに自分は、人を不安にさせるような要素のある作品を作って人にきて欲しいと訴えたりするのだから始末に負えないと思う。
だけど、何かを見た時には、結構な頻度で「はっ」とさせられるし、私自身への批評性となって自分に突き刺さったり、とてもひどい時にはショックを受けて何日か考え込んでしまったりもする。それは生で見た時に限らず、映像で見た時でもそういうことがある。そういったもののいくつかは、今でも私自身の深い所で問いを続けている。
同時に、そういう可能性、自分に「恩恵」と呼べるような瞬間をもたらす差し込みみたいなものは、作品とか公演とかいう形になったものだけとは限らないとも感じている。それは、ある時は、渋谷で喧嘩していたからすの羽がちぎれて、あまりにもゆっくり空中を舞う姿だったり、品川駅の始発電車を待つ時に聞いた駅員の「おはようございます」というアナウンスだったりもするのだ。それは、与えられる時には与えられる。
いろいろな人が見た公演などについての感想を書くブログを展開している。それを見るのはとても素敵だ。でも今までは、なかなか手が付けられなかった。書こうと思うと、自分の感覚とずれないように慎重に考えすぎるからだと思う。時間がかかるのだ。でも私自身も書こうと思った直接のキッカケは、やっぱり自分が公演した後、感想を言ってもらえないのはなんとなく凹むのだ。悪かったら悪かったなりに何か感じた事を言って欲しかったりするのだ。ノーリアクションというのは、どんどん悪い妄想を生む種となってしまう。たぶん、本当にリアクションが欲しくて、ダンスなんかをやって生きているのかもしれない。でも、自分の作品に対して、それに頼りすぎるのはやっぱり違う。そこにはただ相対的な感じ方、考え方というのがあって、それが立体的に見えてくるということなのだ。それと照らして、または距離を置いて、自分が欲していた事、潜在的に欲していた事に気づくということが一番大切な気がする。
これは誰かに対する批評などではなく、私自身にたいする批評性を書き留めておくということにすぎない。
最近見たもの
家内工場、ダイレクト コンタクト、チェルフィッチュ『フリータイム』(映像によって)など
徐々に書いていこうと思う。続くといいな。。。