横トリでは、10月16日と29日に踊った。二日とも、雨が降るかどうかというような天気だった。雨の中で踊ってみたいという気持ちになっていった。身近なアーティスト達と息子が稽古相手になってくれた。
16日の一回目は少し緊張した。ナカニワの海側でひとり踊った。雨は結局あがったけれど、真っ白な雲が空を覆って、私は不気味な佇まいで風に吹かれた。現場に着くと何人かすでに待っていてくれたが、お客さん達はかなり遠巻きに見守っていた。被った紙袋がカサカサ鳴った。紙袋を外したら、風に飛んでいった。私の体をダンスモードからフェイドアウトさせながらお客さんを置き去りにして消えていく。フェイドアウトの感覚が不思議と気持ちよかった。
2回目は室内だった、ミョンフィさんとアベマリアさんと至近距離で踊ったので、事実上絡んでいるような形になった。何も決めていなかったが、私だけ間違えて3分ほど早く踊り始めてしまったので、私のソロから始まったような感じになってしまった。石川雷太さんと松本じろさんの音が以外と大きく、体は何も考える前に勝手に反応しはじめて、自分では何も出来ない状態だった。アベさんにしても刺激が大きくて逆に私の体はフリーズしたように身動きがとれない。ミョンフィさんは、私と全く別のいかたで踊っていたが、手が触れて何某かの感情が私の体を駆けめぐったようだった。その衝撃の余韻でしばし踊った。
29日は4回も踊ってしまった。中村公美とたかぎまゆちゃんも同日パフォーマーだ。
1回目はハトバとセンタンの角の所でソロを踊った。程良く晴れて、海がとてもきれいだった。柔らかくただそこに居るだけで、体の中はゆっくり流転するように水や空気や人々と触れあえればと思った。眩しかったのと風が思いのほか強かったので少し現実に引き戻されそうにもなった。屋外になれていないなーと思う。最初見てくれてた人数が4分の1くらいに減ったけれど、深い眼差しに支えられ気持ちの良いひとときの経験だった。
2回目はハトバのカフェ前で、まゆちゃんの作品の置物と化してただただ、そこに突っ立っていた。しかも袋を被っていたので、もう袋を吹き飛ばされないよう必死。もちろん何も見えない。音だけが頼りで、まゆちゃんの足音と時々笑い声や拍手があったので、様子をうかがっていただけだったけど、不思議な時間だった。
3回目はソロで、ナカニワを端から端へと往復した。その時幸運にも小雨が降っていた。青く塗られた渡り廊下を背にしてセンタンの方を向いて立ち、赤い傘をさした。雨の匂いがかぐわしい。美術作品である電話ボックスの隙間から、細く海が見える。私の行く細い道を指し示しているようだ。ざわめきと雨音が混ざっている。雨の音が人々の声や物音を吸い込んでラジオのノイズ音みたいだ。実際私の体が、ラジオの受信アンテナのように歩くたびに微妙にノイズが変化する。音だけでなく空気も匂いもエネルギーも微妙に変化し続ける。私は透明なただの入れ物のようにただそれを受信する。センタンまで辿り着くと、そのままの向きで後ずさりする。背中の指向性をうんと強く持つように注意する。目の前の景色は思い出のように遠ざかっていく。人々の視線や意識が体に線を描いて向かってくる。手が重くなる。傘を手放す。雨はもうほとんど上がっている。傘の鮮烈な赤が、思い出に衝撃的な感情を残すようにいつまでも目の端で燃えている。長い時間、往復45分もかけて青い渡り廊下のところへ辿り着く。その瞬間はあっけなく、青い鉄板がコツンと音をたてて私の踵をたたく。そしてゆっくり我に返ると、遠くから心を寄せてみてくれていた人々の意識がはっきりと感じ取れる。うれしかった。
4回目は室内で、中村公美とまゆちゃんと同じ場所で踊る。どうやって居ようか迷いがあった。普通に歩いたりするところから始めた。何か新しいことを試したかったけれど、一回スイッチが入ると、体がフリーズしたように固まってしまう。そうすると余計なことも頭に浮かんでくる。それが余計に体を動かなくする。体の中では激しくどもりがある。私の中の何かが過剰反応し、また別の何かが考えすぎていて、また別の何かが動こうとしている。美術作品や二人のダンサー、情報が多くなるほど混乱する。しかし混乱したときは、その時を生きるしかあるまいと、その滅多にない経験を味わった。