07年2月、手塚はアジアダンス会議に出席した。タイ・インドネシア、シンガポールからダンサーやオーガナイザーが参加。日本側のダンサーは鈴木ユキオさん、新鋪美佳さん、常楽泰さんです。他たくさんのダンス批評家やオーガナイザーが参加しました。その中で私のダンスという、自分の活動を紹介したり議論したりする時間があって、その様子を実況てきにご報告します。
後藤美紀子(プロデューサー):なぜ、手塚さんがここにいるかというお話しをさせていただきたいと思います。昨年マレーシアから演劇の演出家をしている方が日本にフェローで来ていたんですけれども。彼が、非常に手塚さんの作品を気に入って「今まで見たことのない表現だ」と言っていたということがありました。考えてみると、古典芸能といわれるものは、わりと表現を誇張する方向に行くモノだと思うのですが、手塚さんはどちらかというと、動きも小さく、細かく、すごく極端な形の表現をなさっています。なので、アジアダンス会議に手塚さんをお招きして、その表現についてお話ししていただくのはとても面白いのではないかなと思って、お呼びしました。もちろん、これを見た方が「本当にこれがダンスなの?」という疑問が出てくることもあるかと思います。でも初日に國吉先生のレクチャーの中で「テクニックでダンスの質を決める時代は終わって、身体を問い直すことがダンスである」ということを土方巽が実践していたというお話しを聞きましたので、私はこれがダンスだと思っています。ということで、手塚さんに[my dance]のセッションを始めていただきたいと思います。
手塚:はい、手塚夏子です。えーっととても緊張しています。 私の作品は体を観察するというのが基本になっていますが、今の体を観察すると、胃はとっても中心に向かって萎縮しています。
後藤さんが「ダンスなのだろうか」という問いも当然出てくるというお話しがありましたけれども、実際に作品を見ていただいて「これはダンスなのだろうか」とか、「ダンスとはなんだろうか」というお話しができればうれしく思います。私の考えではその土方巽の話に近いと思いますが、体の状態、存在の仕方、あるいは状態の変化、そういったモノの中にとてもダンスを感じます。
では私の中で重要になる作品をまず、1つ見ていただきます。題名は『私的解剖実験-2』です。
※「私的解剖実験-2」の抜粋映像
手塚:はい。と、いうのが『 私的解剖実験-2 』で、フルバージョンは20分間ですが、今のは抜粋でした。
なぜこのような作品を創るようになったかというお話しを最初にします。 私的解剖実験シリーズというのは2001年くらいから始めたことですが、どうしてこういうシリーズを始めようと思ったかというと、私自身が踊るのに、私自身が振り付けるというのはとても難しいと思ったからです。私はその二人が、つまり振り付ける私と、振り付けられる私が、もう少しキリ離れなければならないと感じました。その為に自分自身の体をまずはモノのようにあつかって振り付けるということを考えました。そのために体の一部分だけで踊るということを試しました。 例えば口だけを出して、口のダンスを踊るとか。例えばこんな風に (口のダンス実践 )と言う感じです。そんなにまじめに見ないでください。
後藤:これ本当はこれ紙袋を被って口だけ出して踊っていたんですよね。
手塚:そうです。でもこの作品は曖昧なところがたくさんあったんです。体の一部分で踊るというシーンはまだクリアーだったのですが、それ以外にも色々な動きを入れていたんですけれども、その動きが、自分の中では「あ、今の動きは良かった、とか悪かった」と感じるんですけれども、それがなんとなくでしかなかった。このままでは作品は強くなっていかないなと思いました。作品の強さを求めるならば、そこには必然性が必要だと思いました。必然性というのがどうゆうふうに生じるかというのが問題になりました。
例えば立つというだけにしても、このように、あるいは重心を何処に置くのかとか、あるいはどこに力が入っているのか、あるいは抜けているのか、立ち方というのはいくらでも可能性がありますよね。そんなにたくさんある可能性の中で、どのように立つのかとか、どうやって、何がそれを決めるのかというのが問題でした。もちろんバレエの基礎を元にして立つとか、他の色々な何かの基礎をもとにして立つということは、あったはずですが、それは私にとっての必然性ではないと感じました。それで、その問いを元に『 私的解剖実験-2 』という次の作品を創りました。それが今見ていただいた作品の特に前半です。あれは私の中で何をやっているかというか何が起きているかというと、まず床に仰向けに寝て、体の一部分にだけ意識を集中しています。 それはほんとうに一部、たとえば小指の先とか、あるいは指と指の間とか、あるいは足の中指と薬指の間とか、そのように、一部分に意識を集中するということをやってみました。それは、ただそこに意識をもっていくというようなことではなく、その意識しているというのがどういう感じなのか、自分なりに例を挙げてみます。
例えば蚊が飛んでいて、自分の体のどこか一部に止まると想像してみます。もし良かったら、今やってみてください。体の一部分に蚊がとまりました。止まっているけど刺さない。蚊は自分の皮膚の中に入ってくる、蚊の姿は消えていって、蚊の意識だけが残っている、その意識が自分の意識に変化している。
実際に私がこのイメージを使っているのではないのですが、一部分に意識を集中するということが以外に説明が難しかったので、分かりやすくそれを説明するのにどうしたいいかと思って今ちょっと考えてみました。
とにかく、意識した場所だけが自分であって、それ以外がないかのように集中するのです。 そうすることによって何が起きたかというと、意識したところではない別の場所が動き出したのです。それは自分でも本当に驚きました。そしてとても困ったと思いました。その部分の動きを止めようとすると、より激しくなります。それで「ああ、これは実験の結果なのだから受け入れなければならない」と思いました。私自身が意図しない結果が出るということは、以外に私の作品にとって重要なポイントなのではないかと思いました。しかもそれは以外に素敵なことなのではないかと思いました。その反応してしまうことそのものをダンスにして創ったのが、この作品です。
この作品をやって私自身に何が起きたかというと、自分が本格的に分離してしまうような感覚が生まれました。 それは、さっき言ったような振付家である自分と、ダンサーである自分というような簡単な分離ではなく、このレジメに絵がありますけれども、凧(この絵は凧なんですけれども、絵が下手ですみません)この凧の部分が自分自身の体で、この「凧の糸を持っている手」が私、あるいは私の意識といってもいいかもしれません。私自身は体に大したことはできないのです。体は、風が吹いたり、その時の状況をすごく受けて、動いてしまう。ただ、反応が起きるということだけが重要なわけではなくて、このことで体の状態が変化していくということ、またそれを味わうことがダンスだと感じました。そしてまた、私はこのことを通して、人には層があると感じました。表層からちょっとずつ下の方に別の層があって、深層の方はもう限度が無いくらい深いと感じました。この一部分に集中すると言うことが、私自身の深層に影響を与えているのではないかと感じました。
後藤:ひとついいですか?今言った、「人には深層がある」といった時の「人」というのは、この凧あげの図で言えば「私」の中ということですか?意識の中に深層があるということですか?
手塚:いえ、この図とはまた別に、「人」という存在全部という意味です。
後藤:意識の中だけの話をしているわけではないということですね。
手塚:はい、そうですね、体も意識もすべてひっくるめた「人」ということですね。
それで、この作品の後に、体の状態の変化をもう少し丁寧に見せていくために、新しく『 私的解剖実験-3 』という作品を創りました。それは「見せる」と言うこと以前に私自身の中で実感するということが先に大切になってくるわけですけれども。一部分に意識を集中するだけではなく、いろいろな体に対しての命令を考えました。ここにも少し書いてあるけれども「どこか一点だけを見る」という状態から、「全体を見る」ということに、変化させます。
今のこの状態ではあまり変化は見せられませんが、少しやってみます。
(実践)分かりました?まあ、このように。あるいは「右耳だけを澄ませる」。実際には右耳だけで聞けるということではないのですが、限りなくそうしようと努力するわけです。そのように色々な命令を、順番も決めて、順番通りに自分に対して実行させて行く。この作品をやることによって、自分の内側だけでなく、外との関係に意識が開かれていきました。こういう会場とか、そういうものが私の体にとってとても重要な材料になりました。今、見てくださっている皆さま一人ひとりのエネルギーももちろんそうです。私自身が自分に命令したことだけではなくて、とても状況に対して過敏になっていきました。だから私自身が自分に命令していることと、周りの状況が合わさって、私自身を踊らせます。そうしていくうちに空間にさえ、表層と深層があるように感じるようになりました。自分の深層と、空間の深層が繋がる感覚を持ったときには、体は自然に動き出すということを発見しました。そういうことがあって、即興の可能性も開かれていくことにました。
それと、このあたりからワークショップで「体を観察する」という方法を人に伝えるということを始めました。そのことを通して、体というのは生きている中で関わっている物事とか、人や状況なんかが与えた影響による反応の積み重ねでできていると感じるようになりました。そう感じたことをキッカケに「関わる」ということに興味がシフトしていきました。それで「関わっているときの体」を観察したいと思うようになりました。それと、私自身は今まで深層に影響を与えるようなことばかりをやっていたので、表層はどうなっているのだろうということも考えました。表層というのは一番分かりやすく言えば目に見える物事ということです。それで人と関わっている時の体を観察するということで作品をつくったのが『私的解剖実験-4』です。
ここで、『私的解剖実験-4』の作品をすこし長めに見ていただきたいと思います。
※『私的解剖実験-4』の映像、冒頭から作品を流す
後藤:ここは劇場ではないですよね?
手塚:ここは、BankARTという、ギャラリーというか美術の展示をするところです。正面にガラスの入り口があるのですが、そこは完全にガラスに囲まれているというような空間です。これを見ながら少しお話ししますので、若干明るくしてください。この作品はどのように創ったかというと、出演者3人の人達に関わりについての雑談をしてもらいました。 ほんとうにただの雑談なんですが、それを1~2時間撮影しました。その中から1分だけを切り取って、その動きをそのままトレースしました。これがつまり表層をそのままトレースしたということになります。その3人にまず自分自身の動いた1分間の動きをトレースしてもらい、他の二人の分もトレースしてもらいました。このトレース作業というのは気が遠くなるほど大変でした。ダンサー達もとても大変だったと思います。やっているうちに何をやってるか分からなくなって、眠くなってしまうんですね。その材料をつかって、ある種編集作業をしたというかんじですかね。だから、このシーンは別の意味で映像作品のように感じました。この表層シーンを創っているときに問題になったのは、表層の中に何を見つけられるのかということでした。それで、この表層の細部が、深層と深くかかわっているという推測のもとに探しました。それで、まず3人に、自分の振りの一つひとつの中から、自分の深層が実はどうだったかということが思い出せる部分を探してもらいました。そうしたら、3人とも表層から、自分自身の深層を見つけだすことができました。でもそれを作品の中にどのようにクリアーに見出すかということが問題でした。それでその時の最善は、その会話そのものをこの作品の中にぶち込むということでした。そのシーンをちょっと見ていただきます。
※映像を早送りして上映
ここは、さっき言ったシーンでは、まだないのですが、撮影した、雑談している様子を感じ取ることができると思います。雑談をしているもともとの1分間を再現することに近いシーンです。さっき見ていただいた振りと、要素は全部同じです。素材としては3人のトレースした動き、つまり3つの動きのみということになります。ただ、リアルな時間でトレースするのはとても難しかったので、これは実際の2倍ゆっくりにしています。
※映像のシーンが変化
そして、ここは、それぞれが自分の振りのひとつひとつに何が起きていたのかを検証した時に、深層が滲み出てきてしまっているようなシーンです。ここからまたもう一つシーンがあって、その後、先ほど言ったシーンですが、自分の深層を見つけだして、お互いに喋っている部分、最後の本当に会話しているシーンになります。
※映像、3人のトリオシーン
これはトレースした動きを、とばしとばしでストップモーションをつくっているシーンです。このシーンはこういう風になる予定ではなかったのですが、前のシーンの深層が滲み出てしまっているのが止まらなくなってしまっています。それはそれで、予想外でしたが、こういう状況になったことがこの作品に力を与える結果になったと思います。
これは、ここにいる真ん中の人のトレースシーンを3人トリオでやっています。
※映像、ガラスケースの中に3人が入って座る。
これで、このガラスケースの中に完全に3人が閉じこめられています。そしてここで本当の会話をしています。雑談のテーマは、自分の振りの中から、自分の深層を探っていくというものです。そして、ここには実はマイクが仕込んでありまして、音響さんが自分のタイミングでマイクの音量を入れたり引っ込めたりしています。この作品はこんな感じでした。
ということで私の作品の説明は終わらせていただきます。
日時:2007年2月6日(火)〜2月12日(月・祝)
会場:森下スタジオ(東京都江東区森下3-5-6)
地下鉄都営新宿線、都営大江戸線
「森下駅」 A6出口 徒歩5分
主催:社団法人国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センター
助成:平成18年度文化庁芸術団体人材育成支援事業
財団法人セゾン文化財団
後援:各国大使館など(予定)