100502 道場破り日記 5月1日

昨日の朝、引き続き、岸井さんの手法について話しをする。
ダンスアーティストの上演から、時間を遡って、その源流に行こうとすることは、展示のような何かWORKに行き着くのではないか?という問いあり。

岸井さんが、誰かに「10年前の記憶を思い出してもらう」という取り組みの作品を作っていたということで、それを神村さんがやりたいと言い出して取り組む。手塚と神村さんが同じバレエの先生に教わっていたという事実にたどり着き(当人は知っていたが)岸井さん興奮。

昼前に、高嶋さんが来て、なぜか老後の話し、感覚を研ぎすませることができるのはどんな時か?等の話し。どのように自分をクリアーにいい状態にさせておけるか?私の答えは天候、月の周期、あるいは星の運行?天まかせ?という実のない話しになってしまう。老後、家族もなく、一匹で死んで行った犬のことを自分と重ねてしまったという高嶋さんの話題で盛り上がる。お互いに役割を果たし合えるある程度動きのある関わりがあれば、家族の代替えになるのでは?アーティストの老後、死に際、死に様について可能性について考えることで作品、あるいは某かのアウトプットは可能か?

高嶋さんに、美術史の質問続出。
自分という感覚を意識的に反映させはじめた時期は?
対象を観察するということの推移。
対象を描かないという選択、無対象の作品は?
自分の内面を描くという選択をする時期は?
それらが、モダンダンスというものとの繋がり。
モダニズムと、日本におけるモダン(欧米へのあこがれ的な)の違いは?
私自身がモダンというものを日本のシーンの中でどのように捉えてきたか?
つきない問い。

夜、舞楽の映像を見る。
思った以上に、血が沸き立つような感覚が芽生えてビックリ。
ふたたび明日取り組む岸井さんの手法についての話し。