5/4 昨日泊まった篠原さん、富田さんに加え捩子ぴじん氏見学参加
午前中は、ギャラリーが三人以上になったプレッシャーで高嶋さんは緊張気味。
「見る」ということについての考察。
富田さんが「地」と「図」というキーワードを出してくれて話しがとても有意義になっていく。
今日は、神村さんと手塚が高嶋さんの素材になるにはどうすればいいか考えていった。
神村さんは例えば、身体の一部を意識しようとするとき、外の世界と比較するような、いったり来たりするような感覚がないと、そこに行けない。手塚の場合は、ぎゃくにそこだけに意識を集中し、他はないもののように感じる。そこだけが全体になる。
高嶋さんは記憶や経験を使わずに(自分をそこに加えずに)飛躍を起こすための方法をいつも模索する。
空間の変わり目。 遮断をおこし、遮断の向こうに行く。
フレームは透明にしていく。
午後、高嶋さんの作品ビデオを見る。
確かに、高嶋さんの作品には、図と地を逆にするような感覚、どちらか分からなくするようあ感覚を想起させる何かがある。その瞬間なんともいえない浮遊感を伴う。
そのビデオを模して、私の右手、神村さんの左手で、手を触ったり向かい合わせたりしてみる。むずがゆい感じ。自分の手として相手の手を感じるのは思いの外難しい。そのあと、同じことでお菓子の包みを開ける。ちょっとだけ面白い感覚。そのあと拍手してみる。ちょっと浮遊感がある。でも滑稽だ。
夕方、外に出て散歩しながら、視覚と身体感覚をずらすことができるポイントを探しに行く。いくつかのポイントがあって、私はビックリハウスを思い出す。また、ドリフの八時だよ全員集合!でやっていたコント、壁に寝ているシリーズを思い出した。でもそれだけじゃない。
夕暮れの景色を見ながら、空と湖が交じり合う感じ、どちらがそらか分からなくなる感覚、早朝なのか夕方なのか分からなくなる感覚について、味わい話す。昨日の詩のなぞに近づいたきがした。
5月5日 昨晩、冨田さんと篠原さん帰途につき、今朝、神村さんと捩子さんは本番を迎えるべく旅立っていった。
残された私と高嶋さん。ラストスパートです。高嶋さんは、プレッシャーがなくなって落ち着いていろいろ考えられる感じになってくる。
大きなトピックとして
地と図がどちらか分からなくなるような感覚→自分の立ち位置が分からなくなる→浮遊感にも繋がる
具体的トピックとして
・視覚と身体感覚をずらす。→やはり自分の立ち位置が分からなくなる
・変化が圧縮されてる時間を過ごしたい。
手塚との共通点
・見ているものが向こうにしりぞき、見えないものが浮かび上がる。
手塚の作品「プライベート トレース」の指示書を見てみる。 自分に対して言っているのか、お客さんに対して言っているのか?不明。たぶん、どちらでもない境界のようなところにその言葉を置こうとしているのだろうと思った。もっと意識的になってもいいのか?また、物理的な指示9に対し、1割だけ感覚的な言葉、イメージなどを使っている。この割合は妥当か?
身体の状態=地
に対し
身体の動き=図
という見方があるとして、地が図を規定している。しかし図も地を規定する。
高嶋さんが以前に試したパフォーマンスで、
二人の人間が同じ空間にいて別の次元というのがある。これを会話でできないか?
インターフェースを作ろうとする動き(地)に対し しゃべる(図)を矛盾させるとか?
お互いがしゃべってるけど別のことをしゃべっていて、それが勘違いだと気づかないままガンガン進む。とか。
◎脱線
昔、私が渋谷のどこか高いビルの上でコーヒーを飲んで、そこから窓の外を何気なく見ていた時、高い電線のあたりからカラスの羽が音もなくものすごいゆっくりな速度で落ちていくのを見た。深閑とした感じ。私は自分自身の立ち位置が分からなくなる感覚に襲われた。これは「どっちでもないところ。」これは神聖さと言えるか?言えない。
神聖さには恐れとか敬うとかいうことが歓迎してくる。神様は実は侵略者なのか?
手塚のプラトレの指示は、途中で命令の文章を摩耗させている。意味が分からなくなるくらい、歯抜けさせて短くしている。
それは記述を圧縮するという感じ。
作品をどのようなアウトプットに導くか?
ヒトとの接点としてのインターフェースの問題。金の問題。
美術は他者と共に見るメリットはあるか?
ダンスはそもそも舞台で見るようなものか?(ダンスっていうのは、共同体の中でお互いの共感を楽しむ為のもので、例えば、神楽にしても、ナイトクラブにしても、見るためのものでない気がする。神楽を見に行った時、その土地の人は見たりはしない。そこに浸かるのだ。部外者がそれを見る様はちょっと異様な光景。私も部外者で異様な中の一人なのだった。)
ということにも一応立ち返って考察し直したい欲求あり。
長い目で見て、活動していく中でのアウトプットの可能性について、考え直したい。前向きに。
◎高嶋さんのメモ
記述Aと記述Bがあって
(指示書と言う)
↓
素材(操作対象)
記述(指示書)
↓
素材aと素材(操作対象b)
高嶋さんがその辺にある雑誌の「ドライバーの使い方」という指示書をパソコンに書き出し、文を圧縮してみる。
回すのに30パーセント、押すのに70パーセント、という指示が魅力的。
例えば「茶道」などだったらどんな指示があるだろう?
まずはいろいろな指示書を観察するということをやってみよう!という共通の課題が見えた。
やった!やっと次にやることが見つかったよ!ということで終了〜