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160831 福岡市美術館 トークと間にあるもの音頭

福岡市美術館がしばらくお休みしてリニューアルに備えます。その直前の『歴史する』という企画展にまつわるトークイベントとクロージングの日にちょっとしたお祭りがありその中で『間にあるおの音頭』をやりました。

2016年8月21日(日)14時
社会学者の岸政彦、川端浩平、ダンサーの手塚夏子によるトークセッション


2016年8月31日
手塚夏子と山中カメラ、福岡市美術館×音頭 
時間 8:15~19:25 
場所:2階屋外( エスプラナード) ①手塚夏子ワークショップ「間にあるもの音頭」 ダンサー・手塚夏子の手引きにより、福岡市美術館という場で、人と人とのあいだから、おどり と歌をたちあげる。

ちょっと前まで 普通でした
今でしょう 変わるのは
歩み出すぜ いくぜ
たくさん こどもが
まちがいなく オギャー といった時から
成長する 私がいる

140129 私的解剖ワークショップ!















140619 半魚人面魚@福岡


実験ユニット(神村恵×手塚夏子)ダンス公演
「半魚人面魚」




振付・出演: 神村恵 手塚夏子

2014年6月19日(木)19時30分
     20日(金)19時30分
※開演30分前より受付開始。終演後、アフタートークあり。

19日 アフタートークゲスト 康本雅子さん(ダンサー・振付家)
20日 ミニワークショップ付きアフタートーク


会場: 冷泉荘(福岡市博多区)


チケット: 2000円


ご予約/お問合せ 
070-5550-9321(手塚)
info@kamimuramegumi.info(神村)


実験ユニットによる初の福岡公演!
昨年、吉祥寺のOngoingにて上演され、困惑と失笑と熱狂の渦を巻き起こした作品を、福岡にて再演します。

実験ユニット」とは、神村恵 ねじぴじん 高嶋晋一 スズキクリ 手塚夏子が、個人的な欲求を超え、匿名の秘密基地で究極な遊びをするユニットの名前である。手塚夏子と神村恵の二人では今まで3回、このユニット名義で作品を上演している。手法の交換に取り組んだ『神村の手塚と手塚の神村』を皮切りに、お互いのズレを作品の要として作った『毛穴の高気圧』そして、今回再演となった『半魚人面魚』である。


●現代美術家の高嶋晋一さんが書いてくれたレビュー(力作!)です。

 
「得体」というプロセス――神村恵×手塚夏子《半 魚 人 面 魚》について
得体の知れないものを知るとはいかなることか。それはある対象の虚飾を剥がしその真の姿、正体を暴くというより、そもそも対象としていまだ認知されていないもの、実在するかどうかも定かでないもの、つまりは体を成さないものに体を与えることである。それは単に静観的な認識ではなく、発見と発明とが区別をなさなくなるような特殊な事態だ。身体の発見とその使用法の発明は同じことである。身体が存在することが前提にあって、それによって可能な何がしかの行為が、ダンスなのではない。身体をもたないもの、あるいは身体を喪失しているものが身体を得る、文字通り「得体」の過程こそが、ダンスを生じさせるのである。そして、はじめに自らの身体の固有性があるのではないのだとしたら、それを得ようとして「他ならぬ自分の身体がある」という感覚を掘り下げる作業と、感覚を素材にして「他でもありうる何ものかの身体になる」作業とは、必ずしも異なることではなく、むしろ相似的な工程を経るはずだ。神村恵と手塚夏子という、まったく方法論を異にするが、身体に関する類い稀なるリアリストである点では共通する二人のダンサー・振付家が、《半 魚 人 面 魚》と題されたデュオ作で到達したのは、この認識である。

想像力は未知に向かう力である。だがそれは同時に既知に縛られ、既知を拠り所にしてしか作動しない。古今様々に描かれてきた未知あるいは想像上の生き物は、例えば人の上半身と魚の下半身をもつ「人魚」のように、ほとんどが既知の生物の部分が組み合わさってできている。私たちは、「群盲象を撫でる」方式で、部分部分の要素を既知のものに当てはめることからしか、得体の知れないものを知っていくことはできない。しかし、すべて既知に当てはめ終えた(と思った)途端、その得体の知れなさ、未知の未知たる所以である想像しがたさは消え去ってしまう。それでは「半魚人面魚」とは何だろう? この名称からどのような生物が想像できるだろうか。半ば半魚人で半ば人面魚? 「半魚人」は人の形をベースとして表皮と顔が魚、「人面魚」は魚の形をしているのに顔は人である。それらは容易に想像でき、ゆえに既知の表象として流通している。だが、「半魚人」と「人面魚」が一つに融合している様を想像しようとすると、ちょうど「円い四角」を思い起こそうとするときのような困難を感じざるを得ない。人が分母で魚が分子である者と、魚が分母で人が分子である者とが、その差は解消されぬまま共存するとは、一体どういうことなのか? 神村と手塚は、それぞれが「半ば魚で半ば人」な形象をもつ二種類のアイノコ生物をさらに掛け合わせることで、幾ら部分を捉えたとしてもその全体には辿り着けない、想像も実現も不可能な仮象Xを作品の起点として掲げる。

2013年9月15日の第一回公演では、三種類のテキストが使用されていた。(a)「母親は人間だが、尻に鱗があった。父親は魚だが、手と声は人間だった」「人気のない山奥で独りぼっちで暮らし、日光がきつい所では体が縮んでいくように感じられた」などといった、半魚人面魚をめぐるとおぼしき物語の断片(ただしそこには「半魚人面魚」という名も「私」という主語も省かれている。彼女または彼は、誰も継承し得ないミュータント、「種でありながら個」という異端者である)。(b)「見た目を想像しながら動く」「体のすれる音から入り込む」「それっぽい形をすばやく作る」「皮膚感覚から実感する」「メイクをし、顔の表情を作る」といった、その物語を実演する際のアプローチの仕方を簡易的に記したインストラクション。(c)演じるパフォーマーの頭文字を示すアルファベット「K」「T」「KT」。これらのテキストの書かれた紙片が逐一セットで壁面に貼られ、それに従って順々に事が進んでいく構成がなされていた。おそらく(a)(b)(c)の対応関係やそれぞれの順序は、前もって決められておらず、シャッフルされその場で組み合わされて、そのつど場面がつくられる。つまりパフォーマーも観客も、部分的でしかない断片から、いまだ一つの像を結ばない半魚人面魚を、虚像を撫でるがごとく、手繰り寄せていくのである。「指示(計画)- 実行(実現)」という目的論な連関を単に批判して、「はじまりもなく終わりもないプロセス」を重視するだけでは、ある一定の状態を無際限に維持し続けるという、(より惰性的な)別の目的論にすり替わってしまう事態を回避できない。プロセスを開示することの内実は、身体を使って行なわれる様々な試行錯誤をただありのまま見せる、という自然主義にあるのではなく、求心性をもつ目的(仮象X)それ自体に分裂(矛盾)が含まれていることのリアリティを見極めることにある。そしてそれは、ダンス公演とわざわざ銘打たれたこの作品においては、「ダンスをする」のではない「ダンスになる」特異点の出現と関わっているだろう。

9月16日の第二回目は、(a)(b)のテキストが使用される点は変わらないものの、第一回のシステマティックかつ確率的な構成法は破棄され、より即興性の高いものとなっていた。物語テキスト(a)は日めくりカレンダー形式で束ねられており、その時系列は固定されている。ただしそのことで、物語がより単線的に進展し、全体の強固な枠組みになるというわけではない((a)の個々の文章間の因果関係が、はっきりしていないためということもある)。インストラクション(b)は床に並べられ、それをどのようなタイミングで行うかは、パフォーマー自身の選択に任せられている。つまり(a)の変化と(b)の変化が一対一対応していない。時間展開の基調となるのは、パフォーマーの一方が「半魚人面魚」というキャラクターを演じることに没頭して、他方がそれを演出しているかのように、批判的なコメントをするという、交互に繰り返される役割の転換である。得体の知れないものに「なる」ことから捻出される身振りと、それを外から距離をもって(あたかも知っているもの、対象化しうるものとして)観察することの鮮やかな切り返し。何より一回目と異なっていたのは、パフォーマーが別の衣装を身につけることを契機として、半魚人面魚の母親や、ミジンコとネジの合いの子である「ネジンコ」、イカとイカリの混合体の「イカリイカ」といった、半魚人面魚以外のキャラクターが登場することである(ちなみに、この有機物と無機物の融合というモチーフは、出目金とグイ呑みが子どもをつくるというエピソードのある、奇怪かつ荒唐無稽な藤枝静男の小説『田紳有楽』の世界を喚起させる)。この操作が加わることにより、演者とそれを見て監督する者の会話と、キャラクター同士の会話がときに混合し、語りのレベル、パフォーマーのいる位相が複数化していく(演者に語りかけるときはマイクを通して話し、キャラクターに向けては生声で話すという区別が設けられている)。

第二回公演がとりわけ傑出していたのは、在るものを再現することによるのとは別種の現実味を帯びてきたからだろう。得体の知れないものが、得体の知れぬままに体を得、想像だったはずのものの血が通い、身を軋ませる。それはつまり、神経(空想・妄想)に肉がついていくかのような、フィクションが立ち上がる過程の生々しさである。それは特に、「声と言葉をどのように使うのか分からず、そのことで迷うのだった」「「ば」という一文字が頭のどこかに張り付いた」「ある時、声が少しずつ歌のように流れ出始めた」という、発話や発声をめぐる一連の物語場面に顕著だった。キャラクターが特定の状況下で何かを感知したり、何かに反応したりするある種の学習過程と、パフォーマーが彼らの得ているであろう感覚に接近する過程とが重なり合うとき、基調であった「指示 - 被指示」の関係が浸食されるような効果が生じる(半魚人面魚の母となってる手塚の「ことば、ば、をしゃべりなさい、ば、ば」という発言にみられるように(「ば」は「ことば」の「ば」であるらしい)、キャラクター同士の会話にも「指示 - 被指示」の関係が含まれているせいもあるだろう)。また、他にも呼吸することや食べることなどの、口腔が担う行為を示唆する場面が多く見られたが、それは必ずしもパフォーマーが口という特定の部位を使うことに還元されてはいない。むしろ、パフォーマーの全身が入口でも出口でもある通路と化しているかのごとく、感覚できる器官をもたないままで感覚していることを確かめるような身振りとなって具現する。どんなことであれ、それが起こるならば、そこにおいて起こったことであるような場所こそが、身体である。それはブラックホールのようにバキュームのようにすべてを吸い込み吐き出すが、しかしそれ自身のみですべてであることはできないという矛盾を抱えている。「身体を得る」とはこの得体の知れなさを獲得することであり、ダンスは汲み尽せず統合できないものを、それでも「一体」と指し示す運動のなかにある。これまで、役柄や筋書きといったナラティヴな要素のない作品を発表してきた二人のダンサーが、あえて今回、あからさまにフィクショナルな枠組みを介することで迫ったのは、「社会的現実」という(ほとんど「すべて」と見なされている)得体の知れないもう一つの虚妄に拮抗し得るような、そうした「身体」という虚の包括性を再度生成させることである。




140429 体の観察ワークショップ@福岡


5月から毎月第4木曜日に90分のワークショップを予定しています。
体を観察したり、体と言葉の関係で遊んだり、体の深層にアクセスして体の状態の変化を味わったりしてみます。
ひとまず5月22日(木)、6月26日(木)は確定です。
時間は19:30〜21:00
場所は冷泉荘(中洲川端)
料金は1000円です〜。
http://www.reizensou.com/access/

お申し込み/お問い合わせ 
natsukote@gmail.com
070−5550−9321
手塚夏子

140211 野良 〜肉球で 縁側蹴って 向こう側〜

野良 〜肉球で 縁側蹴って 向こう側〜

2014年2月11日(火・建国記念日) 12:00開始 21:00終了予定(3部構成) 冷泉荘ギャラリー(中洲川端駅より徒歩5分) 料金 お代は見てのお帰りで

演劇、ダンス、お芝居、講演、音楽…それぞれの線引きを解いてしまうような何かを並べて向こう側に柔らかくジャンプ!向こうにもこっちにも、頓着なく行ったり来たりできる人たちのフェスティバルです。おいしい料理や飲物を味わいながら、長丁場で、じっくり楽しめます。カラダの芯まで心地よい混乱が忍び込みます。詳しくはこちらをご覧下さい!


『野良』大盛況のうち、無事に終了いたしました。
各方面の遠方より、時間もお金もかけて駆けつけてくださったみなさま、知らないアーティストが多数いる中このフェスティバルに賭けてくださった地元のみなさま、本当にありがとうございました。また、立ち会えなかった皆様、こちらで引き続きレポートさせていただいておりますので、ぜひご覧くださいませ。また、クラウドファンディングも引き続き行っておりますので、ご協力お願いいたします!

『野良』ブログ↓
http://nora211.blogspot.jp




来年へ、さらに未来へと繋げて行きたいと思っております!

手塚夏子


130824 Open Kuraと手塚夏子×河合拓始「ハクロの初合わせ」

その1

Open kura summer 2013

8月24日(土)オープニング 17:00より
糸島市二丈地区各所(スタート地点はStudio Kura)
手塚夏子は、最終地点で踊ることになっています。

https://www.facebook.com/events/1374571109439717/


その2

2013年9月7日(土)pm6:00開演

<手塚夏子×河合拓始「ハクロの初合わせ」>

出演:手塚夏子(ダンス)、河合拓始(鍵盤ハーモニカ、トイピアノほか)

会場:リノベーションミュージアム冷泉荘 (B棟1階2コ1多目的スペース) 
(福岡市博多区上川端9-35 TEL 092-985-4562)

入場料:2,000円

121222 私的解剖実験−6 〜虚像からの旅立ち〜



私的解剖実験-6 〜虚像からの旅立ち〜

振付|手塚夏子
演奏|カンノケント
出演|若林里枝/捩子ぴじん/大澤寅雄/萩原雄太/手塚夏子

音響|牛川紀政 照明|中山奈美 舞台監督|原口佳子
助成|公益財団法人セゾン文化財団
共催|ST Spot
提携|ArtTheater dB Kobe/art space tetra

福岡公演

art space tetra
福岡県福岡市博多区須崎町2-15 092-262-6560
2012年12月22日(土)19:00
     23日(日)15:00/19:00
前売 2000円/当日 2500円(1ドリンク付)
宣伝協力|NPO法人コデックスCo.D.Ex

横浜公演

ST Spot
神奈川県横浜市西区北幸1-11-15横浜STビルB1 045-325-0411
2013 年1月13日(日)19:00
       14日(月・祝)15:00/19:00
前売 2500円/当日 2800円

神戸公演

ArtTheater dB KOBE
神戸市長田区久保町6丁目1番アスタくにづか4番館4階
078-646-7044 info@db-dancebox.org
2013年2月3日(日)15 :00
      4日(月)20:00
前売 2500円/当日 2800円

※各回の開場は開演の30分前です。

全公演共通で右欄の予約フォームからご予約できます。また、各会場ごとのメール・webフォームでも受付けております。公演日時、お名前、ご連絡先携帯番号を送っていただくようにお願いいたします。
福岡公演|art space tetra(くはの)
横浜公演|ST spot(webフォーム)
神戸公演|ArtTheater dB KOBE

手塚夏子|ダンサー/振付家

1970年横浜生まれ。自身の体を素材とし実験する作品『私的解剖実験』シリーズを制作。一貫して身体の観察をし続ける中で、自分の身体が世界の物事や人々に反応し続けている、つまり関わりが身体を作るのだという実感を得る。以来、関わりを観察する作品に転換。その延長線上で、今、世界で起きている事はいったいなんなのか?どのような感じ方で世界を見る事が出来るか? という問いを作品化し続けている。ニューヨーク、オーストラリア、ベルリン、ポーランド、インドネシアなどの国々で様々な企画に参加し、2010年から、日本を中 心にアジアの民俗芸能を調査している。311を経験した今、内発的な身体のあり方や、身体がメディアであることの大切さについて深く考えている。

カンノケント|音楽家/Tabla 奏者

北インドの打楽器 “ Tabla” を U-zhaan、Zakir Hussainに師事。CM音楽やTV番組、フィルムなどでの演奏、また、舞台作品や国内外のフェスティバルでの演奏/ 作品制作、楽曲提供。ライブサポートも多数、不定期プロジェクトに(Tabla Dha, Tebla)。近年の主な共演者として小山田圭吾、飴屋法水など。また、近年、ダンス作品制作に多く携わり、音楽の側から作品に光を当てる仕事をしている。ダンス作品は共作として小尻健太、山田勇気など。


黒沢美香さんからのメッセージ

一人だけ異常な少女のような狂った人がいて群舞にあってもその子から目が離せないでいた。それが手塚夏子と知り、自分だけの秘密をもったようで興奮したのは10数年前だ。その後、当たり障りない挨拶を交わすようになり、彼女を盗み見ると長いまつ毛と細い首で凛と立っている。キリンや馬や駱駝に似ている。何語でどこから接したらいいのか解らないうちに、いつの間にか夏ちゃんと呼ぶ距離になる。忘れられない出会いは「lonely woman」(2002年)で、これを継起に私達は駆け落ちのように急接近して、デュエット「ある天才少女スミレ」(2003年、2006年)に向かう。その頃も夏ちゃんは「私的解剖実験」を語っていた。夏ちゃん音頭取りでその後「道場破り」(2008年、2009年)に参加の機を得て再会した。この「道場破り」の長い準備期間で上質の贅沢をさせてもらったことが、今も私の宝になっている。私がダンス中で無意識に向かおうとする意識的な操作を、夏ちゃんが掘り起こしては質問して言葉に並べる。私も動きを言語化する癖はあるが、夏ちゃんの言語化は傷やホクロも探知する観察の定義がある。無意識を説明することと、答えるまで追いかける二人会議が本当に楽しかった。何時間もうんうん考える。唸って考えると自然に手が頭を掻く。二人会議が終わった頃には二人とも髪の毛がボーボーに立っていて脳がくらくらして夕方になっていた。煮詰められ裏返され、私はこのしつこい作業がたまらなく楽しくて、使ってない楽器の音を聴いた。こういう入口があって体が動くんだ。夏ちゃんの発見からダンスの技法を教えてもらった。それで私は、夏ちゃんに感心して尊敬している。愛している。ところで今、大規模で不穏な時代に入った。夏ちゃんは過剰に敏感なので、どうしているのか気になる。私達は等身大を晒して、生きている人の代表のように嘘でもする。目撃した人はそれを見て、生きている今を確認する。だから以前よりもっと活発に活動したいと思っている。夏ちゃんに不自然で不必要な体の輪郭を今度の「私的解剖実験」に含めてほしい。臓や皮膜や骨には無言の静止、真空でアラベスク60秒をお願いします。アウトサイダーの枠の場合ではないから、体当たり踊り子に化けることが課題、と私は今考えているところです。船を大きくして皆さんに乗船してもらいたい。その記号がアラベスクという紋切り型です。
黒沢美香(振付家・ダンサー)

福岡から始まった旅も、横浜をを経て、神戸にて無事終了いたしました。 それぞれの土地で立ち会ってくださったみなさま、支えてくださったみなさま本当にありがとうございました。 終わった後、逃げるように帰るすがたはむしろ少なくて、食い入るように見つめて無言で言葉を探す方が多かったのがとても印象的でした。 おそらく、不快に感じた方も多かったと思いますが、快に感じた方もたくさんいて、また、まったく咀嚼できないままの方、もたくさんいたと思います。私たちも、自分たちで捉える事がいまだに難しい部分もある中での終演でした。 どの段階もプロセスであって、今でも何かのプロセスである事がむしろ救いだと感じます。 本当にありがとうございました。つづけて反応をいただけることを望みます。 どこかで、いろんな形で実験を共にしましょう。 手塚夏子