民俗芸能調査クラブ ショーイングNo2 実験して、接近する
2012年1月20日(金)21日(土)
森下スタジオ
小口美緒 若林里枝 オカザキ恭和 萩原雄太 坂本千代 大澤寅雄 手塚夏子
脈なのだ。芸能の流れというのは、近代化以前、脈々と世界に感じ方のメディアを提供していた。かつての芸能に従事していた者たちは、悲惨な餓えの中、疫病の悲劇のもと、人の営みの困窮も困難も悲劇も隅から隅までからだで受け止めて、その呻きも、懇願も、祈りも一滴残らず芸能というメディアに投入する力を持っていた。そのことで生きていた。
今は、自分が何を感じているのか良くわからないという時代かもしれない。だから何をしたいかも良くわからない。自分の中から→が動き出して、何かをしてしまう、というような動きの起点を失い続けている。人という人が少しずつ感覚麻痺していって何かを奪われ続けている。気がつくと、自分の足下に何があるのかも分からないような途方にくれたルーティーンの中にいる。
人が、自分を動かす力、世界に能動的に反応する力を取り戻したい。それらが生きていた頃の片鱗を観察したい。この調査はその思いで始まった。
そういった時代にどんなリアリティーや欲求があったのか、もはや分からない。その距離を縮めることは難しいのかもしれない。だけど、そこにある可能性に目を凝らし、その片鱗が放つ僅かな光に反応したい。
http://asiainteractiveresearch.blogspot.com/2012/01/vol4.html
文化庁委託事業 平成23年度 次代の文化を創造する 新進芸術家育成事業
助成 公益財団法人セゾン文化財団 アサヒビール芸術文化財団
110122 Asia Interactive Research 中間発表 vol.01
〜国や時代の枠組みを疑って芸能を観察する試み〜
Researcher / 手塚夏子 神村恵 高嶋晋一 大澤寅雄 萩原雄太 奥村雄樹 若林里枝 小口美緒 白銀 尊
2011年1月22日(土)
14:00〜21:00 @ 森下スタジオ
入場無料(できるだけご予約下さい)
Asia Interactive Research とは?
Asia Interactive Researchとは、日本を始めアジアのアーティストが相互に関わる事を目指しつつ、今年から始動された民俗芸能、及び伝統芸能のリサーチです。国や時代の枠組みを疑い、枠組みをズラして観察する場としての「アジア」において、様々な現代のアーティストと交流し、それぞれの手法や視点から見た相互リサーチを誘発します。今回の中間発表においては、発案者である手塚夏子がインドネシアや韓国などで行った身体を伴うリサーチを軸に、他の様々な現代作家が行ういくつかのリサーチや問いを交差させます。アーティストどうしの創造的な関わりや、個々の創作への源泉となりうる脈動を見出すべく、野性的に散らかったリサーチとその報告が展開します。
http://asiainteractiveresearch.blogspot.com/2011/01/asia-interactive-research-vol01.html
Researcher / 手塚夏子 神村恵 高嶋晋一 大澤寅雄 萩原雄太 奥村雄樹 若林里枝 小口美緒 白銀 尊
2011年1月22日(土)
14:00〜21:00 @ 森下スタジオ
入場無料(できるだけご予約下さい)
Asia Interactive Research とは?
Asia Interactive Researchとは、日本を始めアジアのアーティストが相互に関わる事を目指しつつ、今年から始動された民俗芸能、及び伝統芸能のリサーチです。国や時代の枠組みを疑い、枠組みをズラして観察する場としての「アジア」において、様々な現代のアーティストと交流し、それぞれの手法や視点から見た相互リサーチを誘発します。今回の中間発表においては、発案者である手塚夏子がインドネシアや韓国などで行った身体を伴うリサーチを軸に、他の様々な現代作家が行ういくつかのリサーチや問いを交差させます。アーティストどうしの創造的な関わりや、個々の創作への源泉となりうる脈動を見出すべく、野性的に散らかったリサーチとその報告が展開します。
http://asiainteractiveresearch.blogspot.com/2011/01/asia-interactive-research-vol01.html
090711 足立智美×川口隆夫×手塚夏子
ご来場ありがとうございました。
2009年7月11日 20:00 森下スタジオ
筆談をベースに、喋る。両者は相容れない。
二つに引き裂かれつつ関わるときの、意識の漂いそのものが踊りだす。
筆談で書かれた密談の切羽詰まったとんちんかんさ加減が最高に笑えるけど、それらは伏せられてるってところがまた笑える。
きついのに笑える変な体験だった。
足立さんと川口さんと、短時間でコンセプトの難しいニュアンスを共有できたってことがすごく、心強く感じた。本番直線三人ともぶるっていた。
とにかく、変革して行く上での第一歩が踏み出せた事に安堵。
2009年7月11日 20:00 森下スタジオ
筆談をベースに、喋る。両者は相容れない。
二つに引き裂かれつつ関わるときの、意識の漂いそのものが踊りだす。
筆談で書かれた密談の切羽詰まったとんちんかんさ加減が最高に笑えるけど、それらは伏せられてるってところがまた笑える。
きついのに笑える変な体験だった。
足立さんと川口さんと、短時間でコンセプトの難しいニュアンスを共有できたってことがすごく、心強く感じた。本番直線三人ともぶるっていた。
とにかく、変革して行く上での第一歩が踏み出せた事に安堵。
061013 道場破り企画showing 〜違う方法でも一緒に踊る〜
終了しました。ご来場のみなさま大変ありがとうございました。
一期目 前半戦 06年10月
道場破りとは、手塚夏子が魅力的なアーティスト達の手法に迫り、その手法の要素を自分でも試すという実験的試みです。方法は、一緒に稽古場に入り手法についての話を徹底的にして、体で確かめていくというもので「踊っているときの状態はどのようなものか」という問いが基本になります。堅く聞こえるけれど、これらはリラックスした雑談から始まります。
手法とは、学んできたダンスのノウハウの事ではなく「自分にとってのダンスとは何か」という根本的な問いにより、独自に編み出された、マネの出来ない手法のことです。
■手法への接近 (approach to each method) 主な切り口
踊っている時、どうなっちゃってるのか?(When they dance how are they being?)
自分という感覚について(about sense of self)
入り口、又はスイッチ(entrance or switch)
■全体の中心になった話題
表層
↑
ここにはレイヤーlayerが何層もある。
↓
深層
能動的active←→受動的passive
動かされる affect
【福留麻里の手法】
1.EGOが追いつかない(can`t catch up)所で動く
→お腹の空洞が「へー」と言っている。↓
バラバラになってしまう。→繋げたい(根っこrootを感じたい)
2.動きがポンポン出たくなる直前に踏みとどまる。
へーと言っている部分がしゃべる 欲求の根っこを感じ続ける
【スズキクリの手法】
どう弾くかではなく、どう響くかが大切
(どう動くかではなく、どう存在するかが大切という私の感覚に近いのか?
表層と深層を往復する(深層へドップリ浸らない)
対象になる基準を外に置く。→中心(判断する人)←自分という感覚?
「気持ちよくなって、自分という感覚がなくなってしまう」という方向には
行こうと思えば行けるが、危険を感じる。
音を対象化する。具体的方法→そこに鳴っている音などを聞く。倍音を聞く。Fixした反応。
【有田美香子の手法】
現時点で三種類ある。
1.自分の深層を直堀(相手が自分に対して否定するのを前提にして「裸」になる)
2.「振り」にカッチリ入る。限りなく呼吸に近い
3.そこにある何かに対する衝動
1.には具体的な体の捉え方、方向性を決めることで入る。例えば体のセンターに真っ直ぐの線を感じ、手を挙げてその手をその線にあわせる
【Corrie Befortの手法】
ego (sense of self) shape changes
入り口は能動的 - entrance active(色々な状況、音を聞き、モノを見、空気を感じる)
しかし、大きな意味での感情はその感じたことにより動かされる。
それは深くなり浅くなりまた色々な種類の横の拡がりがあり、横にも縦にも限りがない 。
- unlimited emotional state affect
【アベマリアの手法】
衝動が体を突き動かす状態になるのが良い。
潜在意識のみになって、体が何かに動かされているような感じ。
どのようなところでも入り口にできるのが良い。すぐに入れるのが良い。
練習で見つけたこと
色々な状況でもダンスが満ちて流れるように、
体の中に道筋をつくっておくことによって、
本番での可能性が広がる。また楽しめる確立があがる。
同じ事を繰り返すと入りやすい。
自分で自分にのる。
●10月13日(金) Corrie Befort/有田美香子
コリーとは、最初に渋谷のル・デコで、試演会のような催し物を一緒にやった時、初めて会った。ミュージシャン2人と彼女の即興だった。薄暗い室内に窓から少しだけ光が差し込んでいて、その空間の中にしみていくような、美しいダンスだった。上品な中にも小さな破裂や痙攣があって、見ている者の内側を振動させる。
今日の彼女とのやりとりは、まず英語の勉強から始まった。私は殆ど英語が駄目で、通訳もいなかったけれど、手探りで言葉の奥にある領域を探っていくのはとてもスリリングだった。9月に行われたオーストラリアでのエクスチェンジ企画を経て、私は幾つかの英単語を興味深く手探りしていた。その単語を1つ1つ大きな紙の上に書き出して、その言葉について図式やイラストやジェスチャーなどで示してもらう。辞書を引きながら、単語と単語の関係や、使い方の例や、類似性などを見つけながら、少しずつ体に対する言葉の認識を併せていく。そして、ダンスを踊っているときどのような状態なのかという話を始める。
●10月20日(金) 有田美香子
前回の有田さんとは、言葉の奥にある領域が掴みきれず、言葉の森の中で迷子になってしまったようだ。今回は、有田さんが実際にやってみる内容を提案してくれた。「音で相手の深層をさぐる」というものだが、深層というのはそこに何か壁のようなモノがあるときに、そこをつついてみたりして探ることはできるけれども、そういうものが無いときは、探るという行為自体が無効になってしまう。そこには何の目印もなく境目もなく自分と相手の区別もない。それはある時は深く交わり、ある時は離れているかもしれないけれど、コントロールはできないようだ。
有田さんは3つのバージョンで踊る。
その1 自分の深層から激しく掘り出す 世界に否定されるという前提で裸になる
その2 振りにカッチリ入る。 限りなく呼吸に近い
その3 見ているモノに対する衝動で踊る
その1を試してみようと思った。世界が否定していると言う前提、というのは無理だったので、とりあえず、スコーンと入る。つまり急激に「入る」。入るというのは、深層に行ってしまい、自分という感覚から離れていくということ。それを意識的にやろうとするのはとても難しかった。頭の中に有田さんの踊っている状況を思い浮かべたりしてしまい、それも逆効果、色々と意識しすぎて、すぐに浮いてきてしまう。表層の方に。また自分のなりやすい状態に引っ張られる。同じ状態になるべきというのではなく、その手法はいったい何をもって手法なのか、そのやり方、つまりスイッチのようなものが同じであればいいのだ。と思い、もう一度考えてみようと思う。
●10月21日(土)Abe”M”ARIA
彼女の手法→同じ事を繰り返すことによって、入る。衝動が体を突き動かす。何かに動かされている状態になるための道筋を、体の中につくるため、稽古する。自分で自分にのる。
● 10月26日(木)スズキクリ
ダンスにおいて、どう動くかと言うことよりも「どう存在するか」ということが重要に感じるという話をすると、クリさんにとってその話はよく分かると言って、音楽においては、どう弾くかではなく「どう響くか」が重要と感じていると話してくれた。彼の手法→部屋の中の音を聴く。響きというのは周囲の状況が大きい。何かを弾いて放っておく。→その時の響きを感じ取る。メロディーが出てくる。リズムが出てくる。響きを増幅する。リアクションもある。構造的な感覚としてのコラージュ。
●10月27日(金)Abe”M”ARIA 有田美香子
有田の手法→「その1」である、自分の深層から激しく掘り出す(じか堀り)のための、具体的な方法として彼女が実際に作品に使った方法を試みる。体の中心に線のイメージを持つ。片手を挙げ、その挙げた手を中心の線に併せる感覚を持つ。中心の線は、切り裂かれたような鋭い線のイメージ。あるいは切り裂いて内蔵を見せる。能動的に深層へ向かっていく。
アベの手法→最初にプシューと何かポンプのような圧力を感じる。
アベと有田のお手合わせ→お互いちょっと怖々の時と遠慮の時があった。すごく似てる感じがするけれど直接一緒にやると違う所の方が多く見えてくるのが不思議。
自分の手法について発見→二人に比べ、私はどちらかというと能動的に深層の方に行くという感じがしないなと思った。受話器を取るだけと言う感じか?基本的に受動的であって、何かに動かされている感じ。自然な反応が起きてはじめて体が動く。最初にラジオの周波数を併せる。
●10月28日(土)Corrie Befort Abe”M”ARIA
二人のお互いの手法について、私が無理やり英語で説明する。3人それぞれソロをやる。アベさんとコリーのお手合わせ→お互い波長があっているようだった。リラックスして自分のソロをやりつつ、子どものような童心が共鳴する瞬間もあった。かなり激しい接触あり。子どものような無防備な接触だった。
●10月30日(月)福留麻里 スズキクリ
一期目 前半戦 06年10月
道場破りとは、手塚夏子が魅力的なアーティスト達の手法に迫り、その手法の要素を自分でも試すという実験的試みです。方法は、一緒に稽古場に入り手法についての話を徹底的にして、体で確かめていくというもので「踊っているときの状態はどのようなものか」という問いが基本になります。堅く聞こえるけれど、これらはリラックスした雑談から始まります。
手法とは、学んできたダンスのノウハウの事ではなく「自分にとってのダンスとは何か」という根本的な問いにより、独自に編み出された、マネの出来ない手法のことです。
■手法への接近 (approach to each method) 主な切り口
踊っている時、どうなっちゃってるのか?(When they dance how are they being?)
自分という感覚について(about sense of self)
入り口、又はスイッチ(entrance or switch)
■全体の中心になった話題
表層
↑
ここにはレイヤーlayerが何層もある。
↓
深層
能動的active←→受動的passive
動かされる affect
【福留麻里の手法】
1.EGOが追いつかない(can`t catch up)所で動く
→お腹の空洞が「へー」と言っている。↓
バラバラになってしまう。→繋げたい(根っこrootを感じたい)
2.動きがポンポン出たくなる直前に踏みとどまる。
へーと言っている部分がしゃべる 欲求の根っこを感じ続ける
【スズキクリの手法】
どう弾くかではなく、どう響くかが大切
(どう動くかではなく、どう存在するかが大切という私の感覚に近いのか?
表層と深層を往復する(深層へドップリ浸らない)
対象になる基準を外に置く。→中心(判断する人)←自分という感覚?
「気持ちよくなって、自分という感覚がなくなってしまう」という方向には
行こうと思えば行けるが、危険を感じる。
音を対象化する。具体的方法→そこに鳴っている音などを聞く。倍音を聞く。Fixした反応。
【有田美香子の手法】
現時点で三種類ある。
1.自分の深層を直堀(相手が自分に対して否定するのを前提にして「裸」になる)
2.「振り」にカッチリ入る。限りなく呼吸に近い
3.そこにある何かに対する衝動
1.には具体的な体の捉え方、方向性を決めることで入る。例えば体のセンターに真っ直ぐの線を感じ、手を挙げてその手をその線にあわせる
【Corrie Befortの手法】
ego (sense of self) shape changes
入り口は能動的 - entrance active(色々な状況、音を聞き、モノを見、空気を感じる)
しかし、大きな意味での感情はその感じたことにより動かされる。
それは深くなり浅くなりまた色々な種類の横の拡がりがあり、横にも縦にも限りがない 。
- unlimited emotional state affect
【アベマリアの手法】
衝動が体を突き動かす状態になるのが良い。
潜在意識のみになって、体が何かに動かされているような感じ。
どのようなところでも入り口にできるのが良い。すぐに入れるのが良い。
練習で見つけたこと
色々な状況でもダンスが満ちて流れるように、
体の中に道筋をつくっておくことによって、
本番での可能性が広がる。また楽しめる確立があがる。
同じ事を繰り返すと入りやすい。
自分で自分にのる。
●10月13日(金) Corrie Befort/有田美香子
コリーとは、最初に渋谷のル・デコで、試演会のような催し物を一緒にやった時、初めて会った。ミュージシャン2人と彼女の即興だった。薄暗い室内に窓から少しだけ光が差し込んでいて、その空間の中にしみていくような、美しいダンスだった。上品な中にも小さな破裂や痙攣があって、見ている者の内側を振動させる。
今日の彼女とのやりとりは、まず英語の勉強から始まった。私は殆ど英語が駄目で、通訳もいなかったけれど、手探りで言葉の奥にある領域を探っていくのはとてもスリリングだった。9月に行われたオーストラリアでのエクスチェンジ企画を経て、私は幾つかの英単語を興味深く手探りしていた。その単語を1つ1つ大きな紙の上に書き出して、その言葉について図式やイラストやジェスチャーなどで示してもらう。辞書を引きながら、単語と単語の関係や、使い方の例や、類似性などを見つけながら、少しずつ体に対する言葉の認識を併せていく。そして、ダンスを踊っているときどのような状態なのかという話を始める。
●10月20日(金) 有田美香子
前回の有田さんとは、言葉の奥にある領域が掴みきれず、言葉の森の中で迷子になってしまったようだ。今回は、有田さんが実際にやってみる内容を提案してくれた。「音で相手の深層をさぐる」というものだが、深層というのはそこに何か壁のようなモノがあるときに、そこをつついてみたりして探ることはできるけれども、そういうものが無いときは、探るという行為自体が無効になってしまう。そこには何の目印もなく境目もなく自分と相手の区別もない。それはある時は深く交わり、ある時は離れているかもしれないけれど、コントロールはできないようだ。
有田さんは3つのバージョンで踊る。
その1 自分の深層から激しく掘り出す 世界に否定されるという前提で裸になる
その2 振りにカッチリ入る。 限りなく呼吸に近い
その3 見ているモノに対する衝動で踊る
その1を試してみようと思った。世界が否定していると言う前提、というのは無理だったので、とりあえず、スコーンと入る。つまり急激に「入る」。入るというのは、深層に行ってしまい、自分という感覚から離れていくということ。それを意識的にやろうとするのはとても難しかった。頭の中に有田さんの踊っている状況を思い浮かべたりしてしまい、それも逆効果、色々と意識しすぎて、すぐに浮いてきてしまう。表層の方に。また自分のなりやすい状態に引っ張られる。同じ状態になるべきというのではなく、その手法はいったい何をもって手法なのか、そのやり方、つまりスイッチのようなものが同じであればいいのだ。と思い、もう一度考えてみようと思う。
●10月21日(土)Abe”M”ARIA
彼女の手法→同じ事を繰り返すことによって、入る。衝動が体を突き動かす。何かに動かされている状態になるための道筋を、体の中につくるため、稽古する。自分で自分にのる。
● 10月26日(木)スズキクリ
ダンスにおいて、どう動くかと言うことよりも「どう存在するか」ということが重要に感じるという話をすると、クリさんにとってその話はよく分かると言って、音楽においては、どう弾くかではなく「どう響くか」が重要と感じていると話してくれた。彼の手法→部屋の中の音を聴く。響きというのは周囲の状況が大きい。何かを弾いて放っておく。→その時の響きを感じ取る。メロディーが出てくる。リズムが出てくる。響きを増幅する。リアクションもある。構造的な感覚としてのコラージュ。
●10月27日(金)Abe”M”ARIA 有田美香子
有田の手法→「その1」である、自分の深層から激しく掘り出す(じか堀り)のための、具体的な方法として彼女が実際に作品に使った方法を試みる。体の中心に線のイメージを持つ。片手を挙げ、その挙げた手を中心の線に併せる感覚を持つ。中心の線は、切り裂かれたような鋭い線のイメージ。あるいは切り裂いて内蔵を見せる。能動的に深層へ向かっていく。
アベの手法→最初にプシューと何かポンプのような圧力を感じる。
アベと有田のお手合わせ→お互いちょっと怖々の時と遠慮の時があった。すごく似てる感じがするけれど直接一緒にやると違う所の方が多く見えてくるのが不思議。
自分の手法について発見→二人に比べ、私はどちらかというと能動的に深層の方に行くという感じがしないなと思った。受話器を取るだけと言う感じか?基本的に受動的であって、何かに動かされている感じ。自然な反応が起きてはじめて体が動く。最初にラジオの周波数を併せる。
●10月28日(土)Corrie Befort Abe”M”ARIA
二人のお互いの手法について、私が無理やり英語で説明する。3人それぞれソロをやる。アベさんとコリーのお手合わせ→お互い波長があっているようだった。リラックスして自分のソロをやりつつ、子どものような童心が共鳴する瞬間もあった。かなり激しい接触あり。子どものような無防備な接触だった。
●10月30日(月)福留麻里 スズキクリ
070206 アジアダンス会議「私のダンス」
07年2月、手塚はアジアダンス会議に出席した。タイ・インドネシア、シンガポールからダンサーやオーガナイザーが参加。日本側のダンサーは鈴木ユキオさん、新鋪美佳さん、常楽泰さんです。他たくさんのダンス批評家やオーガナイザーが参加しました。その中で私のダンスという、自分の活動を紹介したり議論したりする時間があって、その様子を実況てきにご報告します。
後藤美紀子(プロデューサー):なぜ、手塚さんがここにいるかというお話しをさせていただきたいと思います。昨年マレーシアから演劇の演出家をしている方が日本にフェローで来ていたんですけれども。彼が、非常に手塚さんの作品を気に入って「今まで見たことのない表現だ」と言っていたということがありました。考えてみると、古典芸能といわれるものは、わりと表現を誇張する方向に行くモノだと思うのですが、手塚さんはどちらかというと、動きも小さく、細かく、すごく極端な形の表現をなさっています。なので、アジアダンス会議に手塚さんをお招きして、その表現についてお話ししていただくのはとても面白いのではないかなと思って、お呼びしました。もちろん、これを見た方が「本当にこれがダンスなの?」という疑問が出てくることもあるかと思います。でも初日に國吉先生のレクチャーの中で「テクニックでダンスの質を決める時代は終わって、身体を問い直すことがダンスである」ということを土方巽が実践していたというお話しを聞きましたので、私はこれがダンスだと思っています。ということで、手塚さんに[my dance]のセッションを始めていただきたいと思います。
手塚:はい、手塚夏子です。えーっととても緊張しています。 私の作品は体を観察するというのが基本になっていますが、今の体を観察すると、胃はとっても中心に向かって萎縮しています。
後藤さんが「ダンスなのだろうか」という問いも当然出てくるというお話しがありましたけれども、実際に作品を見ていただいて「これはダンスなのだろうか」とか、「ダンスとはなんだろうか」というお話しができればうれしく思います。私の考えではその土方巽の話に近いと思いますが、体の状態、存在の仕方、あるいは状態の変化、そういったモノの中にとてもダンスを感じます。
では私の中で重要になる作品をまず、1つ見ていただきます。題名は『私的解剖実験-2』です。
※「私的解剖実験-2」の抜粋映像
手塚:はい。と、いうのが『 私的解剖実験-2 』で、フルバージョンは20分間ですが、今のは抜粋でした。
なぜこのような作品を創るようになったかというお話しを最初にします。 私的解剖実験シリーズというのは2001年くらいから始めたことですが、どうしてこういうシリーズを始めようと思ったかというと、私自身が踊るのに、私自身が振り付けるというのはとても難しいと思ったからです。私はその二人が、つまり振り付ける私と、振り付けられる私が、もう少しキリ離れなければならないと感じました。その為に自分自身の体をまずはモノのようにあつかって振り付けるということを考えました。そのために体の一部分だけで踊るということを試しました。 例えば口だけを出して、口のダンスを踊るとか。例えばこんな風に (口のダンス実践 )と言う感じです。そんなにまじめに見ないでください。
後藤:これ本当はこれ紙袋を被って口だけ出して踊っていたんですよね。
手塚:そうです。でもこの作品は曖昧なところがたくさんあったんです。体の一部分で踊るというシーンはまだクリアーだったのですが、それ以外にも色々な動きを入れていたんですけれども、その動きが、自分の中では「あ、今の動きは良かった、とか悪かった」と感じるんですけれども、それがなんとなくでしかなかった。このままでは作品は強くなっていかないなと思いました。作品の強さを求めるならば、そこには必然性が必要だと思いました。必然性というのがどうゆうふうに生じるかというのが問題になりました。
例えば立つというだけにしても、このように、あるいは重心を何処に置くのかとか、あるいはどこに力が入っているのか、あるいは抜けているのか、立ち方というのはいくらでも可能性がありますよね。そんなにたくさんある可能性の中で、どのように立つのかとか、どうやって、何がそれを決めるのかというのが問題でした。もちろんバレエの基礎を元にして立つとか、他の色々な何かの基礎をもとにして立つということは、あったはずですが、それは私にとっての必然性ではないと感じました。それで、その問いを元に『 私的解剖実験-2 』という次の作品を創りました。それが今見ていただいた作品の特に前半です。あれは私の中で何をやっているかというか何が起きているかというと、まず床に仰向けに寝て、体の一部分にだけ意識を集中しています。 それはほんとうに一部、たとえば小指の先とか、あるいは指と指の間とか、あるいは足の中指と薬指の間とか、そのように、一部分に意識を集中するということをやってみました。それは、ただそこに意識をもっていくというようなことではなく、その意識しているというのがどういう感じなのか、自分なりに例を挙げてみます。
例えば蚊が飛んでいて、自分の体のどこか一部に止まると想像してみます。もし良かったら、今やってみてください。体の一部分に蚊がとまりました。止まっているけど刺さない。蚊は自分の皮膚の中に入ってくる、蚊の姿は消えていって、蚊の意識だけが残っている、その意識が自分の意識に変化している。
実際に私がこのイメージを使っているのではないのですが、一部分に意識を集中するということが以外に説明が難しかったので、分かりやすくそれを説明するのにどうしたいいかと思って今ちょっと考えてみました。
とにかく、意識した場所だけが自分であって、それ以外がないかのように集中するのです。 そうすることによって何が起きたかというと、意識したところではない別の場所が動き出したのです。それは自分でも本当に驚きました。そしてとても困ったと思いました。その部分の動きを止めようとすると、より激しくなります。それで「ああ、これは実験の結果なのだから受け入れなければならない」と思いました。私自身が意図しない結果が出るということは、以外に私の作品にとって重要なポイントなのではないかと思いました。しかもそれは以外に素敵なことなのではないかと思いました。その反応してしまうことそのものをダンスにして創ったのが、この作品です。
この作品をやって私自身に何が起きたかというと、自分が本格的に分離してしまうような感覚が生まれました。 それは、さっき言ったような振付家である自分と、ダンサーである自分というような簡単な分離ではなく、このレジメに絵がありますけれども、凧(この絵は凧なんですけれども、絵が下手ですみません)この凧の部分が自分自身の体で、この「凧の糸を持っている手」が私、あるいは私の意識といってもいいかもしれません。私自身は体に大したことはできないのです。体は、風が吹いたり、その時の状況をすごく受けて、動いてしまう。ただ、反応が起きるということだけが重要なわけではなくて、このことで体の状態が変化していくということ、またそれを味わうことがダンスだと感じました。そしてまた、私はこのことを通して、人には層があると感じました。表層からちょっとずつ下の方に別の層があって、深層の方はもう限度が無いくらい深いと感じました。この一部分に集中すると言うことが、私自身の深層に影響を与えているのではないかと感じました。
後藤:ひとついいですか?今言った、「人には深層がある」といった時の「人」というのは、この凧あげの図で言えば「私」の中ということですか?意識の中に深層があるということですか?
手塚:いえ、この図とはまた別に、「人」という存在全部という意味です。
後藤:意識の中だけの話をしているわけではないということですね。
手塚:はい、そうですね、体も意識もすべてひっくるめた「人」ということですね。
それで、この作品の後に、体の状態の変化をもう少し丁寧に見せていくために、新しく『 私的解剖実験-3 』という作品を創りました。それは「見せる」と言うこと以前に私自身の中で実感するということが先に大切になってくるわけですけれども。一部分に意識を集中するだけではなく、いろいろな体に対しての命令を考えました。ここにも少し書いてあるけれども「どこか一点だけを見る」という状態から、「全体を見る」ということに、変化させます。
今のこの状態ではあまり変化は見せられませんが、少しやってみます。
(実践)分かりました?まあ、このように。あるいは「右耳だけを澄ませる」。実際には右耳だけで聞けるということではないのですが、限りなくそうしようと努力するわけです。そのように色々な命令を、順番も決めて、順番通りに自分に対して実行させて行く。この作品をやることによって、自分の内側だけでなく、外との関係に意識が開かれていきました。こういう会場とか、そういうものが私の体にとってとても重要な材料になりました。今、見てくださっている皆さま一人ひとりのエネルギーももちろんそうです。私自身が自分に命令したことだけではなくて、とても状況に対して過敏になっていきました。だから私自身が自分に命令していることと、周りの状況が合わさって、私自身を踊らせます。そうしていくうちに空間にさえ、表層と深層があるように感じるようになりました。自分の深層と、空間の深層が繋がる感覚を持ったときには、体は自然に動き出すということを発見しました。そういうことがあって、即興の可能性も開かれていくことにました。
それと、このあたりからワークショップで「体を観察する」という方法を人に伝えるということを始めました。そのことを通して、体というのは生きている中で関わっている物事とか、人や状況なんかが与えた影響による反応の積み重ねでできていると感じるようになりました。そう感じたことをキッカケに「関わる」ということに興味がシフトしていきました。それで「関わっているときの体」を観察したいと思うようになりました。それと、私自身は今まで深層に影響を与えるようなことばかりをやっていたので、表層はどうなっているのだろうということも考えました。表層というのは一番分かりやすく言えば目に見える物事ということです。それで人と関わっている時の体を観察するということで作品をつくったのが『私的解剖実験-4』です。
ここで、『私的解剖実験-4』の作品をすこし長めに見ていただきたいと思います。
※『私的解剖実験-4』の映像、冒頭から作品を流す
後藤:ここは劇場ではないですよね?
手塚:ここは、BankARTという、ギャラリーというか美術の展示をするところです。正面にガラスの入り口があるのですが、そこは完全にガラスに囲まれているというような空間です。これを見ながら少しお話ししますので、若干明るくしてください。この作品はどのように創ったかというと、出演者3人の人達に関わりについての雑談をしてもらいました。 ほんとうにただの雑談なんですが、それを1~2時間撮影しました。その中から1分だけを切り取って、その動きをそのままトレースしました。これがつまり表層をそのままトレースしたということになります。その3人にまず自分自身の動いた1分間の動きをトレースしてもらい、他の二人の分もトレースしてもらいました。このトレース作業というのは気が遠くなるほど大変でした。ダンサー達もとても大変だったと思います。やっているうちに何をやってるか分からなくなって、眠くなってしまうんですね。その材料をつかって、ある種編集作業をしたというかんじですかね。だから、このシーンは別の意味で映像作品のように感じました。この表層シーンを創っているときに問題になったのは、表層の中に何を見つけられるのかということでした。それで、この表層の細部が、深層と深くかかわっているという推測のもとに探しました。それで、まず3人に、自分の振りの一つひとつの中から、自分の深層が実はどうだったかということが思い出せる部分を探してもらいました。そうしたら、3人とも表層から、自分自身の深層を見つけだすことができました。でもそれを作品の中にどのようにクリアーに見出すかということが問題でした。それでその時の最善は、その会話そのものをこの作品の中にぶち込むということでした。そのシーンをちょっと見ていただきます。
※映像を早送りして上映
ここは、さっき言ったシーンでは、まだないのですが、撮影した、雑談している様子を感じ取ることができると思います。雑談をしているもともとの1分間を再現することに近いシーンです。さっき見ていただいた振りと、要素は全部同じです。素材としては3人のトレースした動き、つまり3つの動きのみということになります。ただ、リアルな時間でトレースするのはとても難しかったので、これは実際の2倍ゆっくりにしています。
※映像のシーンが変化
そして、ここは、それぞれが自分の振りのひとつひとつに何が起きていたのかを検証した時に、深層が滲み出てきてしまっているようなシーンです。ここからまたもう一つシーンがあって、その後、先ほど言ったシーンですが、自分の深層を見つけだして、お互いに喋っている部分、最後の本当に会話しているシーンになります。
※映像、3人のトリオシーン
これはトレースした動きを、とばしとばしでストップモーションをつくっているシーンです。このシーンはこういう風になる予定ではなかったのですが、前のシーンの深層が滲み出てしまっているのが止まらなくなってしまっています。それはそれで、予想外でしたが、こういう状況になったことがこの作品に力を与える結果になったと思います。
これは、ここにいる真ん中の人のトレースシーンを3人トリオでやっています。
※映像、ガラスケースの中に3人が入って座る。
これで、このガラスケースの中に完全に3人が閉じこめられています。そしてここで本当の会話をしています。雑談のテーマは、自分の振りの中から、自分の深層を探っていくというものです。そして、ここには実はマイクが仕込んでありまして、音響さんが自分のタイミングでマイクの音量を入れたり引っ込めたりしています。この作品はこんな感じでした。
ということで私の作品の説明は終わらせていただきます。
日時:2007年2月6日(火)〜2月12日(月・祝)
会場:森下スタジオ(東京都江東区森下3-5-6)
地下鉄都営新宿線、都営大江戸線
「森下駅」 A6出口 徒歩5分
主催:社団法人国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センター
助成:平成18年度文化庁芸術団体人材育成支援事業
財団法人セゾン文化財団
後援:各国大使館など(予定)
後藤美紀子(プロデューサー):なぜ、手塚さんがここにいるかというお話しをさせていただきたいと思います。昨年マレーシアから演劇の演出家をしている方が日本にフェローで来ていたんですけれども。彼が、非常に手塚さんの作品を気に入って「今まで見たことのない表現だ」と言っていたということがありました。考えてみると、古典芸能といわれるものは、わりと表現を誇張する方向に行くモノだと思うのですが、手塚さんはどちらかというと、動きも小さく、細かく、すごく極端な形の表現をなさっています。なので、アジアダンス会議に手塚さんをお招きして、その表現についてお話ししていただくのはとても面白いのではないかなと思って、お呼びしました。もちろん、これを見た方が「本当にこれがダンスなの?」という疑問が出てくることもあるかと思います。でも初日に國吉先生のレクチャーの中で「テクニックでダンスの質を決める時代は終わって、身体を問い直すことがダンスである」ということを土方巽が実践していたというお話しを聞きましたので、私はこれがダンスだと思っています。ということで、手塚さんに[my dance]のセッションを始めていただきたいと思います。
手塚:はい、手塚夏子です。えーっととても緊張しています。 私の作品は体を観察するというのが基本になっていますが、今の体を観察すると、胃はとっても中心に向かって萎縮しています。
後藤さんが「ダンスなのだろうか」という問いも当然出てくるというお話しがありましたけれども、実際に作品を見ていただいて「これはダンスなのだろうか」とか、「ダンスとはなんだろうか」というお話しができればうれしく思います。私の考えではその土方巽の話に近いと思いますが、体の状態、存在の仕方、あるいは状態の変化、そういったモノの中にとてもダンスを感じます。
では私の中で重要になる作品をまず、1つ見ていただきます。題名は『私的解剖実験-2』です。
※「私的解剖実験-2」の抜粋映像
手塚:はい。と、いうのが『 私的解剖実験-2 』で、フルバージョンは20分間ですが、今のは抜粋でした。
なぜこのような作品を創るようになったかというお話しを最初にします。 私的解剖実験シリーズというのは2001年くらいから始めたことですが、どうしてこういうシリーズを始めようと思ったかというと、私自身が踊るのに、私自身が振り付けるというのはとても難しいと思ったからです。私はその二人が、つまり振り付ける私と、振り付けられる私が、もう少しキリ離れなければならないと感じました。その為に自分自身の体をまずはモノのようにあつかって振り付けるということを考えました。そのために体の一部分だけで踊るということを試しました。 例えば口だけを出して、口のダンスを踊るとか。例えばこんな風に (口のダンス実践 )と言う感じです。そんなにまじめに見ないでください。
後藤:これ本当はこれ紙袋を被って口だけ出して踊っていたんですよね。
手塚:そうです。でもこの作品は曖昧なところがたくさんあったんです。体の一部分で踊るというシーンはまだクリアーだったのですが、それ以外にも色々な動きを入れていたんですけれども、その動きが、自分の中では「あ、今の動きは良かった、とか悪かった」と感じるんですけれども、それがなんとなくでしかなかった。このままでは作品は強くなっていかないなと思いました。作品の強さを求めるならば、そこには必然性が必要だと思いました。必然性というのがどうゆうふうに生じるかというのが問題になりました。
例えば立つというだけにしても、このように、あるいは重心を何処に置くのかとか、あるいはどこに力が入っているのか、あるいは抜けているのか、立ち方というのはいくらでも可能性がありますよね。そんなにたくさんある可能性の中で、どのように立つのかとか、どうやって、何がそれを決めるのかというのが問題でした。もちろんバレエの基礎を元にして立つとか、他の色々な何かの基礎をもとにして立つということは、あったはずですが、それは私にとっての必然性ではないと感じました。それで、その問いを元に『 私的解剖実験-2 』という次の作品を創りました。それが今見ていただいた作品の特に前半です。あれは私の中で何をやっているかというか何が起きているかというと、まず床に仰向けに寝て、体の一部分にだけ意識を集中しています。 それはほんとうに一部、たとえば小指の先とか、あるいは指と指の間とか、あるいは足の中指と薬指の間とか、そのように、一部分に意識を集中するということをやってみました。それは、ただそこに意識をもっていくというようなことではなく、その意識しているというのがどういう感じなのか、自分なりに例を挙げてみます。
例えば蚊が飛んでいて、自分の体のどこか一部に止まると想像してみます。もし良かったら、今やってみてください。体の一部分に蚊がとまりました。止まっているけど刺さない。蚊は自分の皮膚の中に入ってくる、蚊の姿は消えていって、蚊の意識だけが残っている、その意識が自分の意識に変化している。
実際に私がこのイメージを使っているのではないのですが、一部分に意識を集中するということが以外に説明が難しかったので、分かりやすくそれを説明するのにどうしたいいかと思って今ちょっと考えてみました。
とにかく、意識した場所だけが自分であって、それ以外がないかのように集中するのです。 そうすることによって何が起きたかというと、意識したところではない別の場所が動き出したのです。それは自分でも本当に驚きました。そしてとても困ったと思いました。その部分の動きを止めようとすると、より激しくなります。それで「ああ、これは実験の結果なのだから受け入れなければならない」と思いました。私自身が意図しない結果が出るということは、以外に私の作品にとって重要なポイントなのではないかと思いました。しかもそれは以外に素敵なことなのではないかと思いました。その反応してしまうことそのものをダンスにして創ったのが、この作品です。
この作品をやって私自身に何が起きたかというと、自分が本格的に分離してしまうような感覚が生まれました。 それは、さっき言ったような振付家である自分と、ダンサーである自分というような簡単な分離ではなく、このレジメに絵がありますけれども、凧(この絵は凧なんですけれども、絵が下手ですみません)この凧の部分が自分自身の体で、この「凧の糸を持っている手」が私、あるいは私の意識といってもいいかもしれません。私自身は体に大したことはできないのです。体は、風が吹いたり、その時の状況をすごく受けて、動いてしまう。ただ、反応が起きるということだけが重要なわけではなくて、このことで体の状態が変化していくということ、またそれを味わうことがダンスだと感じました。そしてまた、私はこのことを通して、人には層があると感じました。表層からちょっとずつ下の方に別の層があって、深層の方はもう限度が無いくらい深いと感じました。この一部分に集中すると言うことが、私自身の深層に影響を与えているのではないかと感じました。
後藤:ひとついいですか?今言った、「人には深層がある」といった時の「人」というのは、この凧あげの図で言えば「私」の中ということですか?意識の中に深層があるということですか?
手塚:いえ、この図とはまた別に、「人」という存在全部という意味です。
後藤:意識の中だけの話をしているわけではないということですね。
手塚:はい、そうですね、体も意識もすべてひっくるめた「人」ということですね。
それで、この作品の後に、体の状態の変化をもう少し丁寧に見せていくために、新しく『 私的解剖実験-3 』という作品を創りました。それは「見せる」と言うこと以前に私自身の中で実感するということが先に大切になってくるわけですけれども。一部分に意識を集中するだけではなく、いろいろな体に対しての命令を考えました。ここにも少し書いてあるけれども「どこか一点だけを見る」という状態から、「全体を見る」ということに、変化させます。
今のこの状態ではあまり変化は見せられませんが、少しやってみます。
(実践)分かりました?まあ、このように。あるいは「右耳だけを澄ませる」。実際には右耳だけで聞けるということではないのですが、限りなくそうしようと努力するわけです。そのように色々な命令を、順番も決めて、順番通りに自分に対して実行させて行く。この作品をやることによって、自分の内側だけでなく、外との関係に意識が開かれていきました。こういう会場とか、そういうものが私の体にとってとても重要な材料になりました。今、見てくださっている皆さま一人ひとりのエネルギーももちろんそうです。私自身が自分に命令したことだけではなくて、とても状況に対して過敏になっていきました。だから私自身が自分に命令していることと、周りの状況が合わさって、私自身を踊らせます。そうしていくうちに空間にさえ、表層と深層があるように感じるようになりました。自分の深層と、空間の深層が繋がる感覚を持ったときには、体は自然に動き出すということを発見しました。そういうことがあって、即興の可能性も開かれていくことにました。
それと、このあたりからワークショップで「体を観察する」という方法を人に伝えるということを始めました。そのことを通して、体というのは生きている中で関わっている物事とか、人や状況なんかが与えた影響による反応の積み重ねでできていると感じるようになりました。そう感じたことをキッカケに「関わる」ということに興味がシフトしていきました。それで「関わっているときの体」を観察したいと思うようになりました。それと、私自身は今まで深層に影響を与えるようなことばかりをやっていたので、表層はどうなっているのだろうということも考えました。表層というのは一番分かりやすく言えば目に見える物事ということです。それで人と関わっている時の体を観察するということで作品をつくったのが『私的解剖実験-4』です。
ここで、『私的解剖実験-4』の作品をすこし長めに見ていただきたいと思います。
※『私的解剖実験-4』の映像、冒頭から作品を流す
後藤:ここは劇場ではないですよね?
手塚:ここは、BankARTという、ギャラリーというか美術の展示をするところです。正面にガラスの入り口があるのですが、そこは完全にガラスに囲まれているというような空間です。これを見ながら少しお話ししますので、若干明るくしてください。この作品はどのように創ったかというと、出演者3人の人達に関わりについての雑談をしてもらいました。 ほんとうにただの雑談なんですが、それを1~2時間撮影しました。その中から1分だけを切り取って、その動きをそのままトレースしました。これがつまり表層をそのままトレースしたということになります。その3人にまず自分自身の動いた1分間の動きをトレースしてもらい、他の二人の分もトレースしてもらいました。このトレース作業というのは気が遠くなるほど大変でした。ダンサー達もとても大変だったと思います。やっているうちに何をやってるか分からなくなって、眠くなってしまうんですね。その材料をつかって、ある種編集作業をしたというかんじですかね。だから、このシーンは別の意味で映像作品のように感じました。この表層シーンを創っているときに問題になったのは、表層の中に何を見つけられるのかということでした。それで、この表層の細部が、深層と深くかかわっているという推測のもとに探しました。それで、まず3人に、自分の振りの一つひとつの中から、自分の深層が実はどうだったかということが思い出せる部分を探してもらいました。そうしたら、3人とも表層から、自分自身の深層を見つけだすことができました。でもそれを作品の中にどのようにクリアーに見出すかということが問題でした。それでその時の最善は、その会話そのものをこの作品の中にぶち込むということでした。そのシーンをちょっと見ていただきます。
※映像を早送りして上映
ここは、さっき言ったシーンでは、まだないのですが、撮影した、雑談している様子を感じ取ることができると思います。雑談をしているもともとの1分間を再現することに近いシーンです。さっき見ていただいた振りと、要素は全部同じです。素材としては3人のトレースした動き、つまり3つの動きのみということになります。ただ、リアルな時間でトレースするのはとても難しかったので、これは実際の2倍ゆっくりにしています。
※映像のシーンが変化
そして、ここは、それぞれが自分の振りのひとつひとつに何が起きていたのかを検証した時に、深層が滲み出てきてしまっているようなシーンです。ここからまたもう一つシーンがあって、その後、先ほど言ったシーンですが、自分の深層を見つけだして、お互いに喋っている部分、最後の本当に会話しているシーンになります。
※映像、3人のトリオシーン
これはトレースした動きを、とばしとばしでストップモーションをつくっているシーンです。このシーンはこういう風になる予定ではなかったのですが、前のシーンの深層が滲み出てしまっているのが止まらなくなってしまっています。それはそれで、予想外でしたが、こういう状況になったことがこの作品に力を与える結果になったと思います。
これは、ここにいる真ん中の人のトレースシーンを3人トリオでやっています。
※映像、ガラスケースの中に3人が入って座る。
これで、このガラスケースの中に完全に3人が閉じこめられています。そしてここで本当の会話をしています。雑談のテーマは、自分の振りの中から、自分の深層を探っていくというものです。そして、ここには実はマイクが仕込んでありまして、音響さんが自分のタイミングでマイクの音量を入れたり引っ込めたりしています。この作品はこんな感じでした。
ということで私の作品の説明は終わらせていただきます。
日時:2007年2月6日(火)〜2月12日(月・祝)
会場:森下スタジオ(東京都江東区森下3-5-6)
地下鉄都営新宿線、都営大江戸線
「森下駅」 A6出口 徒歩5分
主催:社団法人国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センター
助成:平成18年度文化庁芸術団体人材育成支援事業
財団法人セゾン文化財団
後援:各国大使館など(予定)
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